Happy Halloween!
(SIDE S-1)
それはハロウィーンのいいつたえのひとつ。
ハロウィーンの夜に畑に出かけた若者が小道に種か灰をまいて歩いたら、その後ろについてくる若い娘がいたら、その娘はやがて若者の花嫁になるという。
「実は今日は、スギレオハロウィーン特別ライブがありまーす。」
スギくんがいきなりそんなことを言い出したのは、食後に始めたカードゲームの三回戦目が終わった時だった。
わたしもリエちゃんも何を言われたのかわからなくて、きょとんとしてしまった。
「じゃあ、会場のセッティングをするからこっちに来て」
今日、レオくんとスギくんの部屋はいつもと家具の――特にテーブルとソファの位置が変わっていて、何も置かれていない空いた空間があったのだけれど、そこの床にクッションを置いたレオくんに手招きをされた。言われるままにリエちゃんとクッションの上に腰を下ろして、わたしたちは顔を見合わせた。そんなわたしたちを見てふたりは、「ハロウィーン限定曲もあるよ」「お楽しみに!」と、笑顔で声を掛けてくる。
がたがた音を立ててレオくんたちがライブの準備を始めている中、わたしたちもようやく状況が飲み込めてきて、
「……うわぁ」
揃って感嘆のため息が漏れた。
わたしの目の前で、リエちゃんの目がきらきらと輝きを増してくる。きっとリエちゃんから見たわたしも同じような様子なんだろうな、って思う。
だって大ファンのふたりのライブだもの。落ち着いてって言う方が無理だと思うの。
「すごいね、さなえちゃん」
「うん、楽しみだね」
「うん!」
「ハロウィーン限定曲ってどんな曲なのかな……」
そんなことを喋っていたら、呆れたようなスギくんの声が聞こえてきた。
「レオ……照明はジャック・オ・ランタンだけ使うとか言い出したのは君じゃなかったっけ? そしてカボチャを除く雑貨の買出し担当も君」
「う。わかってるって。すぐ買ってくるよ」
そう言って、レオくんは慌しく外に出て行ってしまった。何が起きたのかわからなくて、思わずスギくんを見つめると、視線に気付いた彼は肩をすくめて見せた。
「明かりはランタンだけにしよう、って話してたんだけど、肝心の言いだしっぺがロウソクを買ってき忘れてたんだよ」
ほんと、しょうがないよね、と頭を振っていたスギくんだったけれど、ソファの上に視線が固定されたかと思うと、今度は頭を抱え始めてしまった。
「スギくん、どうしたの?」
リエちゃんが驚いて声をかけると、スギくんは殊更嘆かわしそうな表情で、ソファの上の何かを手に取って、
「レオってば、どこで何を買ってくるつもりなんだろうね?」
その手の上には、レオくんのお財布が乗っていた。
町の灯は消えることを知らなくて、周りはとても明るいけれど、空を見上げればそこには確かに月が輝き、星が瞬く夜空がある。
スギくんから預かったレオくんのお財布を胸の前でしっかり持って、小走りに駆けるわたしの前方にすぐに見慣れた後ろ姿が現れた。
声を掛けようかと思ったけれど、驚かされた時のことを思い出してちょっと悪戯心が芽生える。できるだけ物音を立てないようにして近付いた。駆け寄る足音が道路を走る車の音に紛れたおかげか、背中に手の届く所まで近付いても彼はわたしに気付いていないようだった。
背中を叩こうと手を伸ばして、その時見えた、前を行く人からゆっくりと立ち昇る紫煙と、時折地面に落とされるタバコの灰。
それを目にしたら、何故か伸ばした手を背中に触れる直前で止めてしまった。
それはハロウィーンのいいつたえのひとつ。
ハロウィーンの夜に畑に出かけた若者が小道に種か灰をまいて歩いたら、その後ろについてくる若い娘がいたら、その娘はやがて若者の花嫁になるという。
――うわぁ……
唐突に思い出した一節に、頬が熱くなるような気がした。
急に恥ずかしくなって――レオくんがその話を知っているかわからないけれど――伸ばした手を引いてしまった。けれどお財布を渡さないといけないから、と思い直して、でもどうやって声を掛けたら――注意を引いて気付いてもらえるか――良いか分からなくなってしまって途方に暮れていると、
「――ん?」
未だ紫煙を燻らせるタバコを左手に、不意にレオくんが振り向いた。互いの目と目が合う。
「……うわ! さなえちゃん!?」
一拍置いて、驚きの声が上がった。
確かに、最初は驚かそうとしていたけれど……身を仰け反らすようにして驚かれて、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「レオくん、お財布」
そう言って大事に持っていたお財布を差し出すと、レオくんは一瞬目を見開いて慌ててズボンのポケットに手をやった。それから右手で顔を覆うようにして俯くと、「あちゃあ……」と小さな呟きを漏らす。
「帰ったらスギに色々言われそう……」
そして苦笑いを浮かべて、ありがとう、とお財布を受け取った。
「うん、色々言ってた」
くすくす笑いながら伝えると、レオくんは「だろうねぇ」と呟きながら手にしたタバコを口許へ運び――突然、その動きを止めてしまった。
「レオくん?」
呼び掛けても黙ったままで、じっとタバコを見つめている。
先端から灰がぽとりと落ちた。
「……家庭菜園作っておくべきだったかも」
今、わたしの顔は真っ赤だろうな、と思った。