31.給水塔 (2)

 偶然とはいえ途切れていた空間同士を繋ぐ道を作り出せたことは、思いがけず幸運なことではあったが、イコの表情は晴れなかった。当初の目的であった跳ね橋が、相変わらず上がったままだったためだ。
 衝撃が足りなかったのか、跳ね橋を降ろす仕掛けは他にあるのか。
 爆弾を持って行ければいいのかもしれないが、爆弾を抱え両手が塞がった状態で通路を登ることはできない。また、いくらイコといえど、前に投げるならまだしも両手でようやく抱え上げられるほど大きな爆弾を上に向かって高く放り投げることはできず、通路の上に投げて乗せることも不可能だ。
「……だいじょうぶ。きっとほかのところにあるんだよ」
 小部屋に置きっぱなしにした剣を取りに戻ってから、イコは新たにできた道を進んだ。
 橋となった通路を進み、屋上に渡る。しかしその屋上もまた中間地点にしかすぎず、跳び越えることが出来ない距離を置いた更に奥に、城壁と城壁に沿いの足場、そしてふたつ並んだ角の生えたこども石像があった。
「あ……!」
 石像を前にイコの目が輝きを増す。それは、進むための道があることを示す確かな証だった。
 しかし、石像までの道を作ることも大事だが、今は何よりも跳ね橋を下ろす方法を探さなければ、と、イコはきょろきょろと屋上の周囲を見渡した。
 屋上と石像がある足場の間、その上空を木造の通路が横切っている。途中、十字路になっている部分の内、手前に延び空中に突き出した状態で途切れている通路は、今や落ちて渡し橋となった通路と繋がっていたはずで、本来なら上の通路を通って行き来していたのだろう。
 上に登る方法はないかと視線をさまよわせていると、石像から向かって屋上の左奥角の壁際で揺れる鎖に気がついた。鎖を辿って視線を上げていくと、鎖が垂らされているのは上方の通路からだった。イコは鎖を伝って通路までよじ登った。
 木造の通路に上ると、数歩進んだ先に石像のある足場へ下りる梯子が掛けられていた。もちろん右――つまり足場を横切って――にも通路は延びている。
 イコはどうしようかと下と右の道をしばらく見比べていたが、まずは下――石像――を選び、梯子を下り始めた。しかし下りた先の足場にはふたつ並んで道を塞ぐ石像以外何もない。石像から向かって右端の城壁は周囲の他の城壁ほど高さはなく、壁の上に上段があるようだったが、高さがないといっても跳んで縁に手が届くほど低くもない。
 結局、石像の足場周辺でこれといった仕掛けを見つけられなかったイコは、幾分肩を落として梯子を上がり、木造の通路を進んだ。
 通路を進んですぐに十字路に差し掛かる。右――やぐら側――の通路は前述のように空中に突き出された状態で途中で途切れている。左――石像側――に向かって延びる通路も、城壁と繋がっているわけでもなく空中に突き出た状態で止まっていたが、なぜか通路の端に取っ手の付いた木箱が置かれていた。通路の途切れた先は手摺など落下を防ぐものは取り付けられていないので、木箱は少し押すだけで下――石像のある足場に落ちてしまうだろう。
 変わった場所に木箱が残されているな、と思ったが、それも別段珍しい光景というわけではなかったので、イコは左右の道を横目に更に前へと進んだ。その道も、やぐらから給水塔まで続いていた通路ほど長く続かなかった。やはりどこか別の通路や部屋に至る前に道は途切れていた。
 通路の端に立つと通路前方に大きな滑車の設けられた一角が目に入った。滑車は水門の所と同じく、横に置かれ、取っ手を動かして回すものだ。更によくよく見てみれば、滑車が置かれているのは爆弾の並べられていた小部屋の屋上である。
 大仰そうな仕掛けに、こんどこそ、と期待も膨らむが、滑車のある屋上まで至る手段がない。通路と小部屋の屋上の中間地点上空に、左側の城壁に組み立てられたやぐらのような骨組みだけの柱から伸ばされた桁が見えるが、跳んで届く高さでもなく、そこを経由することは不可能だ。
 何とかあの屋上に行く方法はないかと小部屋を中心に周囲を見渡していたイコは、石像のある足場の壁上の上段、その通路奥の城壁にレバーが設けられていることに気が付いた。
「あのレバーは……そうだ!」
 はっとした様子でイコは木箱を振り返ると、木箱の傍まで一気に駆けた。
 ――これをふみだいにすれば。
 イコは木箱を押し出し、通路の下――石像のある足場へ落とした。少々高い所から落としたため不安だったが、木箱が壊れた様子もなく足場に落ちたことを確認すると、それを追うようにイコも通路から飛び降りた。じん、と身体を走る着地の衝撃が抜けるのを待ってから、木箱をレバーが設置された上段へ至る壁際まで押し運ぶ。木箱を踏み台にして城壁の上、上段へとよじ登ると、足場というより小路のような通路の左奥の城壁のレバーに飛びつくようにして、思い切りレバーを動かした。
 レバーを動かすと、ガシャン、と音がして、隣の骨組みの柱から垂らされた鎖が飛び出した。鎖が止まったのは、伸ばされた桁の端、ちょうど通路と滑車のある屋上の中間地点だった。
 再び上の通路まで戻り、滑車のある屋上が見渡せる場所に立つ。正面には先ほど出したばかりの鎖が風に揺られている。鎖は長く、少々短く跳んでもこの距離ならば落下途中で充分鎖に掴まることができる。
 イコは鎖に掴まり損ねることがないよう、慎重に向きを整え、助走をつけて通路から跳んだ。狙い過たず鎖に掴まると、少し下に落ちてしまった分、上に登った。鎖を揺らし、遠心力を利用して屋上に飛び移ろうというわけだが、余り登って桁に近すぎては鎖が揺れる長さが足りなくなる。かといって鎖を大きく揺らすため下りすぎても到達地点が目線より高くなり、前より上に飛ばなければならない。
 何度か鎖を揺らしつつ上下の位置を調節し――結局、できる限り上から飛ぶことに決めると、精一杯鎖を揺らして屋上に飛び移った。イコが自覚していた以上に勢いが付いていたようで、危なげなく屋上に着地することができた。
 イコは早速取っ手に手をかけると滑車を回し始めた。
 滑車を回して何週か回った頃、鎖が飛び出してきた時より重々しく、甲高い音が響き渡った。音の発生源もかなり近い。
 渡ってきたばかりの通路の下、つまり石像のある足場と、その手前、落下した通路が架け橋代わりに渡された屋上の間に、檻が出てきたのだ。
 本来はもっと別の場所まで動いたのだろうか。現れた檻は天井が足場と屋上の床と同じ高さにあった。しかし、檻を飛び石代わりに屋上と石像の間を行き来することができそうだ。これだったらヨルダも渡ることができるだろう。
 しかし――
「……これもちがう」
 相変わらず跳ね橋に変化はない。
 イコは一度跳ね橋の前まで戻ると、木の壁と化している橋床にため息をついた。
 どれだけ先の道を作ることができても、この跳ね橋が下りてくれなければ仕方がない。
「あーもう! なんでおりてくれないんだよっ」
 苛立たしげに殴りつけるように橋床を叩くと、ぐら、と揺れた気がした。
 もしかしてあともう少しで倒れるのだろうか。
 しかし助走をつけて体当たりをするくらいでは足りないらしく、跳ね橋はぐらぐらと揺れるだけだ。
「どうすればいいのかなぁ……」
 イコが困り果てて呟いた時、チャリ……、と金属の擦れる音が耳に入ってきた。弾かれるように音がした方向――頭上を見上げれば、やぐらから延びた通路の先から垂らされた鎖が、風に煽られ小さく揺れていた。
 イコはしばしの間食い入るように鎖を見つめ、
「そうか!」
 突然、顔を輝かせると、最初の時と同じようにやぐらを登りだした。
 鎖を揺らし飛ぶ時の勢いをもって体当たりをすれば、上がったままの跳ね橋もきっと倒れるはずだ、と思いついたのだ。
 慣れた動作で鎖にぶら下がると、慎重に下りて微妙に高さを調整する。手を滑らせて鎖から落ちればやぐらを登り直さなければならないし、かといって上から高く飛びすぎて跳ね橋を跳び越えてしまうわけにはいかない。
 できるだけ壁と化した跳ね橋の床板が視界いっぱいに広がるような場所まで鎖を下りてから、イコは鎖を揺らし始めた。何度も何度も揺らし、鎖の揺れ幅が大きくなった所で跳ね橋に向かって飛ぶ。そして勢いよく揺れる鎖から放り出される勢いそのまま、跳ね橋に体当たりをした。
 どんっ、と鈍い音が響き、イコの身体は後ろ――通路に弾かれた。
 しかし跳ね橋もその衝撃に耐え切れなかったのだろう、ついに壁として立ち塞がっていた橋床は前に――ヨルダが待つ通路に向かって倒れていった。
「やったぁ!」
 ようやく繋ぐことができた道に、イコは倒れこんだ状態のまま喝采を上げ――はあ、とため息を吐いた。
 それはようやく目的を達することができた安堵と、なんでもっと早く気が付かなかったんだろうという悔恨、両方が入り混じったものだった。
 跳ね橋は下ろされたが、それでも道が完全に繋がったわけではなかった。跳ね橋は、ヨルダが待つ足場までわずかに届いていなかったのだ。もっとも、空いた距離はヨルダでも跳び越えられるものだった。
「ヨルダ!」
 呼びかけたイコが差し出伸べるより一足早く、少年の呼び声に応えてヨルダの身体がふわりと宙に舞った。
「わ!? ヨルダ!?」
 しかし両足で跳ね橋に着地するには飛距離が足りず、落ちそうになったヨルダは跳ね橋にしがみついた。イコは慌てて駆け寄ると、手を貸して引き摺り上げる。
「び……びっくりした……」
 自身が落ちそうになった時よりよほど息を切らせて座り込む少年に、少女がそっと寄り添う。
「――」
「……え、なに?」
 荒い息に紛れて、何か聞こえた気がしたイコが顔を上げると、きょとん、とした様子のヨルダと目が合った。
「えーと……いま、ぼくに、なにかいった」
 ヨルダと自分を指差し、最後に口許を指差す。
 見詰め合った状態のまましばらく待ってみるが、意味が通じていないのか、ヨルダが何か言う気配はない。
 更にしばらく待ってみて、
「……うん、えと、ヨルダは、だいじょうぶ? いたくない?」
 引き上げるとき強く掴んだ腕を指差すと、今度は通じたのだろう、銀糸の髪が縦に揺れる。
 イコの顔に安堵からの笑みが浮かぶ。
「そっか。じゃあ、いこう」
 何か言われたなら気になるが、ヨルダが怪我をしたり痛い思いをしているのでなければ良いか、という結論に至り、イコは立ち上がるとヨルダに手を差し伸べた。
 繋いだ手から伝わる温もりに、イコはもう一度安堵の息を吐いた。
 仕掛けはすべて出し尽くしていたので、ゆったりとした足取りで進みながら、動かしてきた仕掛けの数々について身振りを交えて話していった。橋となった通路を渡り、屋上まで来た。あとは檻を飛び石代わりに渡って、石像のもとへ向かうだけだ。
 まず、イコが先に檻の上に跳び乗り、
「ヨ――」
 ヨルダ、と呼びかけた言葉が不自然に途切れた。
 ヨルダが怯えた様子で背後を振り返っている。
 音が消え、世界が閉ざされるような、この感覚。
 風よりも、もっと重苦しいものが吹き付けてくる。
「――ヨルダ!」
 切羽詰った叫びのようなイコの呼びかけにも、ヨルダは動かない――否、動けない。
 ――ばさり。
 それは、イコにとってあまりに不吉な羽ばたきの音。
 ヨルダを目指し降りてくる黒い影が見えた。



 もう一度ヨルダを呼ぶが、ヨルダが跳ぶ体勢に入るより影が降りてくるほうが早い。
 イコは檻を蹴ってヨルダのもとへ跳んだ。
「――やあっ!」
 間一髪、ヨルダに触れようとしていた黒い影に対し剣を叩きつける。どう、と倒れる影を尻目にヨルダの手を掴んで影から少しでも距離を取ろうとした。
 屋上の角――鎖が垂らされている近辺の床にたゆたう漆黒の淵があった。しかし、影が飛んできたのは奥の――ゴンドラの方面からだ。
 そちらにも黒い淵が出ているとすれば、距離が離れすぎている。万が一、遠い方にヨルダを連れ去られでもすれば面倒なことになりそうだった。
 黒い淵の現れていない屋上の角でヨルダを背後に庇い、イコは向かって来る影に対し剣を構え直した。
 もちろん、たとえ近くであっても、ヨルダを攫わせる気などない。



 風に揺れる鎖の下、床を穿つごとく現れた淵が漆黒の煙を吐き出し、蒸発するように消えていく。
 風の唸り声が耳を打つ。
 辺りに満ちていた圧迫感も、風に散らされたように消え失せている。
 ほっと息を吐くのと同時に構えていた剣が下ろされる。
 今度こそ、ふたりで檻を渡り、石像の前に立った。
 ヨルダから迸る光が道を開く。
 何度も繰り返されてきた光景。その光景を前に、ふと、イコの胸をよぎる思い。
 この光景が終わる時は本当に来るのだろうか。
 ――終わらせたいと、望んでいるのだろうか。
 終わると信じて、終わらせたいと望んで――帰りたい、城の外へヨルダとともにいきたいと願い。
 道を探し、道を開き、道を進み続け――そう、きっと終わりは近付いている。信じたとおり、望んだとおりに。そして願ったとおりの未来にも。
 ――それなのに。
 心のどこかで感じる寂しさは、どうして?




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