13.墓地 (2)

 建物の中はとても暗い部屋だった。
 四方が石造りのその部屋は、イコが入ってきた入り口とバルコニーへの出入り口、そして数個の小さな窓があるだけで、外からの光はそのほとんどが遮られている。その上、燭台の数、灯された火の輝きも決して充分とは言えない。部屋を照らす明かりが圧倒的に不足している。
 明かりの足りないその部屋は、なまじ外が明るかっただけに、中に入った瞬間、目の前が真っ暗になったような気さえした。
 イコは何度か目を瞬かせ、少しでも暗闇に目を慣れさせる。
 まずバルコニーに出るために、上に登る道を探す。入ってきた前方は、数歩歩いた先がより暗い影に覆われて見えなくなっている。床の途切れる縁まで行って恐る恐る覗き込むと、かなり下の方に床が見えた。
 今の目的は上に上がることだ。下に向かって飛び降りるようなことはせず、上への道を探す。
 入ってきて左側の壁には梯子が掛けられていた。もちろん、上に続いている。
 イコは目を輝かせて梯子に飛びつき、猛然と登りだした。登りきった先は暗い部屋の周囲を取り囲む壁沿いの通路――と言うよりは狭い足場といった方がしっくりとくる。よく見れば、壁沿いに延び、暗い部屋を取り囲む通路は、その足場より一段高い位置にある。どうやら、周囲の壁沿いに走る通路は別の入り口から通じているらしかった。イコが今立っている足場から、部屋の奥の壁沿いに伸びる通路へ近付こうにも、壁からせり上がったような柱が行く手を阻む。
 一方、バルコニーへ通じる出入り口もまた通路と同じ高さに位置し、こちらは足場沿いに出入り口の真下まで行けるが、どれだけ高く跳んでも指先がかする気配すらない。
 すぐ目の前にバルコニーへ通じる出入り口から差し込む光が見えているというのに、そこへ行くことができない。
 ――どうすれば……
 湧き上がる焦燥感。
 その時、ふと、目の端をちらつくものに目を留めた。
 それは一本の鎖だった。イコの立つ足場の比較的近くにあるその鎖を辿って視線を上げると、鎖はバルコニーへ至る出入り口の足場から伸びていた。
 ――これなら!
 鎖までの距離をざっと目測で測ると、イコは意を決して鎖に飛びついた。
 体当たりするような勢いで鎖に飛びつく。大きな音を立て、ひどく揺れる鎖から振り落とされないようしがみつき、多少、揺れが収まったところでイコはほっと息を吐いた。身体の向きをバルコニー側が正面にくるように変え、顔を上に上げると鎖を上り始めた。
 程なくして、鎖を登りきったイコの手が足場にかかり、そして両足が石床を踏みしめる。
 ――やった!
 あとは外に出て木箱を下に落とせばいい。
 意気揚々と外に出ようとしたその時――
「……!」
 かすかに聞こえた悲鳴。
 途端、入り口が大きな音を響かせて閉ざされ、光源の一つを失った部屋で闇が濃度を増した。
 そして、何よりも。
 心臓を握り潰されてしまいそうな、この息苦しさは。
 纏わり着く重い空気は。
「――!!」
 イコは声にならない悲鳴を上げて、光の差し込む出入り口を駆け抜けた。



「ヨルダ!」
 バルコニーに出たイコは咄嗟にヨルダを呼んだ。外の眩しさに無意識に細められる視線の先で、一体の影が少女を今まさに抱え上げようとしている。
「ヨルダから離れろ!」
 イコは怒号を発し、暗い部屋から走り出た勢いのままバルコニーから飛び降りた。建物の二階から飛び降りることと同じようなものだ。そんな高さから落ちて上手く着地できるはずもなく、固い石畳に身体がしたたかに叩きつけられる。けれどイコは痛む身体に構わずヨルダのもとへ走った。
 ヨルダを抱え上げ影穴に連れ去ろうとする影に向かって、鋭く振った棒を力いっぱい叩きつける。その一撃に影がヨルダを取り落とすと、急いで白い手を引いて背後に庇った。ヨルダを狙ってしつこく向かってくる影に正面から対峙する。
 迫ってくる一体以外、他に影が出てくる気配はない。
 相手の動きをよく観察し、イコは的確に攻撃を当てていった。何度目かに振った棒が影を薙ぎ倒すと、影はそのまま起き上がることなく霞のように風に散らされ消え失せてゆき、それと同時に、現れていた影穴も一瞬だけ黒い煙を見せて跡形もなく消えていった。
 イコは溜めていた息を吐き出すと、肩の力を抜いて背後のひとを振り返った。
 心なしか安堵の表情を浮かべているように見えるヨルダに、もう大丈夫、と笑顔を見せる。その笑顔も、少し強張ったものになっていたかもしれない。未だ、自分の知らないところで少女を襲った危機を察した時の衝撃――身が凍りそうになる恐怖は抜け切っていなかった。
 ヨルダの手を取り、温もりを確かめる。繋いだ手から感じる温もりが、少年の身体に残った最後の強張りを溶かしてくれる。
「……よかった……」
 ヨルダの無事にほっと胸を撫で下ろし――イコは大事なことを思い出した。
「あ」
 顔を顰めて上を見上げる。
 慌てていたので、当初の目的をすっかり忘れていた。
「もう一回、行かないと……」
 木箱は相変わらずバルコニーの上に置かれていた。



 仕方なく、イコはもう一度ヨルダにパネルの上に立ってもらい、再び暗い部屋へと入って行った。
 今度は先ほどより勝手がわかっている。素早く左手側の壁に掛けられた梯子を登り、鎖に飛び移る。バルコニーに出た時の手順を繰り返し、イコは先ほどよりずっと短い時間で、暗い部屋の外、バルコニーの上に立っていた。
 一度、上からヨルダが無事なことを確認し、今度こそ木箱を押して下に落とす。
 バルコニーから石床に飛び降りるとまたもや影が現れたが、自分の目の前――すぐ手の届くところでのことだったので、今度は冷静に対処ができた。すかさずヨルダの手を取って影から距離を置き、向かってくる影を冷静に打ち倒した。
 影と影穴が消え去ってから、落とした木箱を押してパネルの上まで運ぶ。
 ふたつめのパネルが完全に沈み、ふたりの前で暗い部屋への扉が開かれた。
「行こう」
 イコが促し、ヨルダが頷く。
 そしてふたりは中へ入っていった。




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