13.墓地 (1)

 薄暗い路地はすぐに終わり、再びひらけた場所に出る。ひらけた、と言っても四方は高い城壁に囲まれているが。
 イコはこの場所がこれまで通ってきたどんな所よりもひっそりとした、静かな場所に感じられた。
 何故だろう、と不思議に思ったが、すぐにその理由を思い当たる。
 ――ここ、墓地なんだ……
 狭い通路の終わりにある短い階段を降りると広い踊り場となっており、その片隅にはソファがあった。路地から出てきて右側に階段が続いているがその階段も長くは続かず、すぐにバルコニーのような足場に至る。まず、そこに墓石が四つ並べられていた。そしてそこから左右の城壁に沿って伸びる階段を下りた先の石畳の地面にも四つの墓石。
 不思議と、この場所を恐ろしいとも不気味とも思わなかった。
 この墓地は誰かの死を悼む、その営みが行われていた名残だ。
 そしてそれは、霧の城で人々が生活をしていたという証でもある。
 静寂の中にある無機質なこの城に残された生活の跡が、今は消え失せてしまった温もりを感じさせてくれるような気がした。
 そのことにほっとした気持ちになった。
 そして、思う。
 ――ここは死者が眠るところ。けれどなぜだろう。
 イコが霧のお城に連れて来られて、ひとりで目覚めた祭壇――あの場所の方が、ここよりずっと『墓』という言葉が似合う、そう思えてならなかった。
 新たな道を探して視線を動かすと、その目が堅く閉ざされた扉を捉えた。
 墓地の最奥にある、城の一部と化している建物――霊廟、なのだろうか――に入るための扉だ。
 それ以外に他の場所へ通じるものはなさそうだった。
「ヨルダ、行こう」
 イコが考え込んでいる間に、周囲の景色に興味を奪われ視線を彷徨わせていたヨルダに声をかけ、繋いだままの繊手を引いて階段を下り始めた。
 ――そして、数段も下りない内にその足が止まる。
 眩暈を起こしてしまいそうな濃密な気配に圧倒されないよう、大きく息を吸う。その身に掛かる重圧を押しのけんと両足を踏張り、ゆっくりと棒を構える。怯える少女を背後に庇い、前を見据える少年の表情は険しいものへと変わっていた。
いつの間にか音の消えた世界で、漆黒の闇が立ち上るのが見えた。



 影穴の位置を素早く確認し、イコはヨルダの手を引いて階段を一気に駆け下りた。しかし中段の階を越えようとした所で影たちに囲まれ、足を止め迎え撃つ体勢になった。
この墓地に例の石像はない。現われた影たちをすべて倒さなければ先へ進めない。
 光を遮り迫り来る影たちがイコの視界を黒く塗り潰してゆく。
 それでも、イコは歯を食いしばり、顔を上げていた。



 どうっと大きな音を立てて影が倒れる。肩で息をしつつ厳しいまなざしで見守るイコの前で、影は再び立ち上がることなく黒い煙と化して空気に溶けていった。それが最後の一体だったのだろう、影穴も蒸発するようにひとつ残らず消えていった。
 ようやく墓地が穏やかな静寂を取り戻す。
 イコとヨルダは中段の階を下り、固く閉ざされた扉の前に立っていた。取っ手さえ見当たらない扉は、ヨルダが近付いても何の変化も起こらなかった。
 ――きっと動かすための仕掛けがあるんだ。
 そう考えたイコが周囲に目を配ると、建物の手前、左右の城壁の隅にある石床の一角が変色しているのが目に入った。変色した床の中央には、パネルのような物があった。中々に大きいパネルで、人がふたりならかろうじてパネル内に立てそうだ。
 なんだろう、と不思議に思ったイコは、ヨルダと手を繋いだままパネルの上に立ってみた。途端、パネルはゆっくりと下がり出し、咄嗟の出来事に繋いでいたふたりの手が外れてしまった。
 パネルはイコの胸元近くまで沈んだところで止まったが、他に何も起こる様子はない。
「……あ、そうか」
 ひとつ、思い当たったイコは石床に手を掛け、そのまま身体を持ち上げてパネルから石床の上に身体を乗り上げた。イコという重石を失ったパネルは再び周囲の床と同じ高さまでせり上がってきた。
 イコは反対側のパネルに駆け寄り、そのパネルの上にも乗ってみた。案の定、そのパネルも同じく下へと沈んでいく。
「やっぱりそうだ」
 ひとつ確信を得て頷くイコを、石床の上でヨルダが不思議そうに見つめていた。イコは今や窪みとなったパネルの上から這い上がり、身振り手振りを交えてヨルダに自分の考えを披露した。
「きっと、両方のパネルを沈めれば扉がひらく仕掛けなんだよ!」
 静かに耳を傾けるヨルダは、やはりイコの言葉を理解しているようには見えなかったが、イコは構わず話を続けた。
「でもそうすると……ヨルダにどっちかのパネルの上に乗ってもらえばいいのかな?」
 そう言いながら視線を彷徨わせたイコは、扉の向かいにある背の低い壁――壁の上は墓地の中段になっている――に沿って、あの取っ手の付いた大きな木箱が置かれていることに気が付いた。ちょうど空から降りそそぐ陽光が作り出す濃い影に隠れて、わかり辛くなっていたのだ。
 イコはもう一度足元近くのパネルを見下ろした。パネルの大きさは、人がふたり立てるかどうかといったところだ。木箱も一つの面がふたりが上に乗れるかどうかという大きさだったはずだ。
「……よし」
 イコはヨルダをその場に待たせると、木箱を引いて――時には押して、パネルの前まで運んだ。そのままパネルと木箱の位置を慎重に合わせて、木箱がパネルと重なる位置まで押し出す。
「うん、ぴったりだ!」
 イコが歓声を上げる中、木箱が乗ったパネルは再びゆっくり沈んで行き、木箱の天辺が石床と同じ高さまで下がった。
 それを確認してから、イコはもう片方のパネルに乗った。そのパネルが完全に沈みきると、果たして今まで固く閉ざされていた扉が勢い良く開いた。
「やったぁ!」
 狙い通りの展開に歓声を上げる。しかし、その開いた扉に向かおうとした時だった。
 パネルが沈んでできた窪みからイコが這い上がった一拍の後、沈んだパネルが再びせり上がるのと同時に扉が音を立てて閉ざされてしまった。
「……あれ?」
 一瞬の出来事に、イコは閉ざされた扉を呆然と見つめた。
 ――えーと……つまり、扉を開けておくには両方のパネルが沈みっぱなしでないとダメ、ってこと?
 不吉な考えに、イコは顔を顰めた。しかし何度試しても――パネルに乗っている時間を変えてみたり、ふたりで乗ってみたり――パネルは上に重石がなければすぐ浮上してしまい、扉は両方のパネルが沈んでいる時にしか開かない。
 と、なればどちらかが残ってパネルの上に乗っていなければいけないというとことになるが、それは同時に残った方を置き去りにすることになる。つまり、もう、これ以上ふたりで進むことはできないというのだろうか。
 ――そんな……
「――そんなことないっ!」
 脳裏に浮かんだ考えを、胸中に湧き上がった不安を打ち消すように、イコは大きく頭を振った。
 建物の中には重石になるものがあるかもしれない。なくても――ないなら、他の場所から探してくればいい。
 その時、イコは自分を呼ぶ声を聞いた。
「イコ」
 いつの間にかうつむいていた顔を上げると、ヨルダが上を指差していた。辿るようにして視線を動かせば、その先には建物の上――屋根、というよりはバルコニーといった風の場所に、先ほど沈めたものと同じ木箱が見えた。それに奥の方にはバルコニーと建物を繋ぐ出入り口も見える。
 ――中にはいって、上の箱を下に落とせば……!
 そうすれば、両方のパネルを沈めたままにできる。姿を見せた光明に、少年の目は希望に輝き出した。
 しかし、そのためには――
「……ヨルダ」
 しばらく躊躇していたが、イコは決意の色を瞳に滲ませ、傍らの少女を呼んだ。
 例えば、必要に駆られてヨルダと距離を置くことはこれまでに何度もあった。けれど一度として目の前の白い光を見失うことはなかった。どれほど距離が空いていても、視線の先に捉えることができていた。
 けれど、イコがひとりで建物の中に入れば、ふたりの間を壁が遮りヨルダの姿は見えなくなる。そのことを考えると、急に不安が首をもたげてくる。
 だからと言って、いつまでもこの場に立ち止まっているわけにも行かない。
 離したいなど一度も思ったことのない柔らかな手を引いて、パネルの上にヨルダを誘う。ヨルダが上に乗ったことにより、パネルは下がり、建物への扉が開く。
 イコは自分より目線の下がったヨルダに合わせて腰を屈め視線を合わせると、真剣な面持ちで、
「少しのあいだ待ってて」
 少なくとも、その声は掠れもしなければ揺れもしなかった。
 ――なにがあっても、すぐに駆けつけるから。
 少年の精一杯の思いを込めた言葉を、少女は静かに聞いていた。華奢な首が微かに縦に動いたようにも見えた。
「すぐ戻るから!」
 少女に励まされるように立ち上がったイコは身を翻した。そして目前の建物に駆け込んだ。




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