9.シャンデリア (2)

 円形の足場まで戻り、レバー近くにある階段を下る。足場は、巨大な一本の支柱のような形で立っているが、階段は外側を削り出すようにして作られていた。柱の内側へ穿たれた階段は螺旋を描き下へと続くが、柱を一周する前にふたりは一階の入り口に辿り着いた。
 階段の終着地点に置かれたものに足が止まる。
「なんだろう……黒いスイカ?」
 柱が日差しを遮り濃い陰影を生み出しているため、そのものの黒い色と相まって、一抱えするのがやっとと思われる大きな球状のものである、ということは判別できたが細部がよくわからない。好奇心に駆られて近付いたイコは、短いながら、大きな黒球からのびる導火線を目にした瞬間、少女を庇うようにしてあとずさった。
「ば、爆弾!? こんな大きいのが何で……!?」
 本で見た内容を思い出す。確か、導火線に火をつけなければ爆発することはないはずだった。それでも好んで近付きたいものではない。いくつか並べられている爆弾からできるだけ距離を取るようにして、イコは少女の手を引いてシャンデリアの部屋へと入った。



 シャンデリアの部屋の一階、奈落の向こうに、あの――膝を抱えてうずくまる角の生えた少年の――石像が並んでいるのが見えた。あの先が、先ほどバルコニーで見た回廊へ通じているはずだった。
 さて、どうやってあそこまで行こうかと辺りを見渡すイコの頭上に、ぱらぱらと何かのかけらが降ってくる。目の前に手をかざして頭上を見上げると、遥か頭上の橋から破片が断続的に舞い落ちていた。
 本来、何本かの柱によって支えられているべき長い橋は、今やその重量のほとんどをイコの目の前にある一本の柱のみが支えていた。その不安定な状況の中で、先ほどのシャンデリアの落下が柱にかなりの負担を掛けた事は想像に難くない。かろうじて保たれていた均衡が失われつつあるために、壊れそうな柱と橋の結合部分から崩れた破片が零れ落ちていた。
 ――この柱がなくなれば、橋が向こう岸に届くかもしれない。
 橋の崩れている辺りは、完全に奈落の向こう側にある。柱がなくなれば、支えを失くした橋は下に落ちるだろう。
 少女を橋の下にならないような位置に避難させてから、イコは柱に向かって棒を叩きつけた。しかし崩れそうとは言っても、今もなお橋を支え続ける柱が、人の力程度でどうにかなるはずもない。
「……いったぁ〜……」
 固い感触に手がしびれる。降り注ぐ破片の数が増えたような気がするが、これといった異変は起こらない。
 ――もっと強い力じゃないと……
 そう考えた時、揺らめく煌きが目の端に映った。はっとして目を向けると、それは落下の衝撃に耐え辛うじて何本か残された、シャンデリアの蝋燭に灯された火の煌きだった。
「そうだ!」
 一声上げると、イコは少女をその場に残したまま一旦部屋の外に出た。僅かの間を置いて戻って来た時には、階段の下にあった爆弾の一つを抱えていた。爆弾の重さに足取りはふらついていたが、真っ直ぐ柱に向かうと柱の足元に抱えていた爆弾を置いた。次に、シャンデリアに駆け寄り、火が揺らめく蝋燭に手にした棒を近づける。元々松明として使われていた棒は容易く火がついた。その輝きが消えない内にイコは爆弾に近付き、導火線に火を付けた。
 ばちばちと弾ける火花に、イコは急いで離れようと身を翻し――
「わ! 危ないよ!!」
 いつの間にかイコの背後から爆弾に火をつける様子を覗き込んでいた少女に気付き、顔色が変わる。やや乱暴に少女の手を引くと慌てて爆弾から離れた。
 少しでも離れようと駆け出したふたりの背後から、ドオンッ! という爆発音が轟き、少女が小さな悲鳴を上げた。一拍置いて背中に叩きつけられる爆風に姿勢が崩れそうになるのを堪えて立ち止まる。
 続いて地響きが起こる。舞い上がる埃に目を細めつつ振り返ったふたりの目の前で、橋を支えていた柱がとうとう折れたのだ。
 支えを失った橋の先端が高度を下げ始める。それは徐々に速度を増して、ついに轟音を響かせて奈落の向こう岸の床に衝突した。
 その様子を息を詰めて見守っていた少年は頭上を仰ぎ見た。円形の足場側の入り口近辺から橋が折れていた。その結果、橋はちょうど、吹き抜けの二階と対岸を繋ぐ長い坂道と化している。新たな道を創りだせたのだ、とわかった。
「やった!」
 イコは小さく歓声を上げた。
 傍らの少女に満面の笑顔を向ける。
「これで先に進めるよ!」
 つられる様にして少女も微笑を浮かべた。



 支柱の階段を登り、円形の足場を横切り、シャンデリアの部屋に入る。
 橋が折れた部分には深い亀裂が入っていた。
「足元、気をつけてね」
 少女を気遣いながら橋――というよりも坂道と化したその場所に足を踏み入れる。
 しかし、降り始めて数歩も行かない内に――
 ――どくん
 一瞬、足が止まった。
 ――あいつらだ……!
 世界から音が消え失せ、空気が重苦しく纏わり付いてくる。
 少年は手にした棒を握りなおし、少女は繋いだ手を強く握り返す。
 ふたりの前方で、不吉な闇が揺らめいていた。
 禍々しい羽ばたきの音が反響する。暗い闇を内包する漆黒の穴から、揺らめく影が這い出してくる。
 躊躇はほんの一瞬だった。
 イコは少女の手を引いて、今や坂道となった橋を駆け下りた。
 狭い足場で四方八方から襲ってくる影と相対する不利を悟ってのことだ。
 まずは少女だけでも逃がそうと石像のもとへ急ぐ。石像によって固く閉ざされた出入り口も、少女から放たれる光によって開かれる。
 襲い掛かろうとする影たちをかいくぐり、石像の手前の階段を駆け上った。そして少女を石像の前に押しやるようにして、イコは棒を構えて背後を振り返った。少女の力によって石像が動くまでの間、少女が邪魔されないよう影を牽制する為だった。
 大気を震わせるような音が響き、イコの背後からまばゆい光が溢れ出し――
「……え?」
 イコは目の前で起こった光景に呆然と立ち尽くした。
 部屋中を満たす鮮烈な輝き。少女から放たれる青白い光に照らされた瞬間、影たちはその光にかき消されるようにして消え失せたのだ。その現象は影たちだけに止まらず、暗黒を湛えた暗い影穴さえも、光を浴びた瞬間蒸発するように消えていった。
 やや遅れて聞こえ始める石像の動く音と共に、つい先刻まで感じていた異変も霧散してゆく。
 今や元通りの静けさを取り戻した部屋の中で、イコは戸惑いの表情で振り向いた。
 新たに現れた入り口の前で、少女は外から差し込むまばゆい輝きを浴びて静かに佇んでいた。
 少女の浮かべる穏やかな微笑に、少年はふと肩の力を抜いた。
「……ぼくの方が助けてもらっちゃったね。ありがとう」
 はにかみながら、迷わず少女の手を取る。
 少年は、少女の瞳に揺れる哀しみの色に気付いていた。けれど何が哀しいのか分からなくて、背後から差し込む光の中、儚く消えてしまいそうな彼の人の手を取ることしかできなくて。
 わからないことだらけだ、と思う。
 城のことも、影のことも――少女のことも。
 それでも、手にした温もりは本物なのだと、それだけは知っていた。
 そしてそれだけ知っていれば充分だ、と思った。




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