3.螺旋階段 (1)
降り立つ、というよりほとんど落ちるようにして辿り着いた部屋で、少年は真っ先に頭上を見上げた。そこはやっぱり薄暗いままで松明も灯されていた。しかしイコは確かに感じていた。
それは形のあるものではなく、イコの立つ場所まで届くことはなかったけれど。
それは自分でも気付かない内に焦がれていた暖かな光。
天から、降り注ぐ光。
ここは塔の中、なのだと少年は思った。
見上げる先には螺旋階段がどこまでも高く続いている。光は、所々にある大きな窓から差し込んでいた。
差し込む光のせいだろうか。なぜか、この上にはとても大切なものがあるような気がした。
そしてイコはようやく周囲を見回してみた。
右手側には螺旋階段へ至る梯子があった。反対の左手側にある梯子は、イコの頭の先より高い位置にある、壁際の崩れかけた足場に続いていた。足場を目線で辿っていくと正面の石像――あの、角の生えた子どもの石像が四体連なっている――の上まで続いている。石像の手前には、まるで受け皿のような、大きい円形の台――というには高さがなく、周囲の石床より多少でっぱっているだけのものだったが――があった。
イコは石像の前まで行ってみたが、やはり何も起こらない。
――神官さまたちが使った剣があれば。
そう思うが、ないものは仕方がない。
力任せに押してみたり、引っ張ってみたりもしたが、まったく動く気配もない。
――上なら。
光が差し込む窓からならば、外に出られるかもしれない。
何より、予感があった。
そこには自分を待つ何かがある、と。
少年は螺旋階段へと続く梯子に向かい、ふと、石像を振り返った。
うずくまった子どもたちの表情はわからない。
もし、この石像が生贄として連れてこられた子どもたちの辿り着いた末の姿なのだとしたら、自分もこうならなければならないのだろう。
けれど、前へ進もうと望む気持ちを抑えることはできなくて。
螺旋階段を上りながら、イコはどこか外に出られる窓がないか視線を走らせていた。しかしどの窓もずいぶんと高い位置にあり、格子が填められている。それでも諦めずにイコは螺旋階段を登り続けた。途中、足場の崩れていたところは掛けられていた鎖を登って、先へと進む。
そうやって進むうちに、少年の胸に違和感が生まれた。
――こんな光景を、どこかで。
心臓の鼓動が急に早まった気がした。とても心に残っている光景のはずなのに、思い出せない。
――何かが、違っているんだ。でも、何が?
思い出せないまま、やがて視線の先の足場が途切れた。螺旋階段の足場が、途中で完全に崩れ落ちていた。飛び越えるには広すぎる空間を空けてさらに螺旋階段は続く。
その時、少年の視界の端に何かが映った。
何気なく左手側、塔の中央部に目を向けようとした少年は自分の視線が捉えたものに身体を強張らせた。とっさに上がりそうになった叫びをのどの奥に押し留める。
――棘のついた、大きな鳥籠。
ああ、そうだ――と今更ながらに思う。
ここは、夢で見たあの場所なんだ、と。
気付かなかったのはきっと、夢と違って差し込む光がとても暖かかったから。
身体の内から湧き上がってくる恐怖に負けまいと鳥籠を正面から見据えたイコは、もう一つ、夢と異なるものに気がついた。
――誰か、いる。
鳥籠の中で、白い人がうずくまっている。
たったそれだけのことだったけれど、気がつけば、少年の身体の中から恐怖は消え去っていた。
「だれ? だれかそこにいるの?」
声を張り上げると、中の人が少年の方を窺う気配がした。しかし返事は返ってこない。
その人の姿を捉えようとイコは大きな鳥籠に可能な限り近づいた。
中にいるのは少女、だろうか。イコより年上に見えた。
その人は、ただ不思議そうに少年のことを見つめている。
「なにしてるの? そんなところで」
やはり返事はない。
――ぼくと同じで、生贄として連れてこられたのかな。
それ以外に、少女のいる理由が――ましてやこんな大きな鳥籠に閉じ込められている理由が思いつけなかった。
「ちょっと、まってて。いま、下ろしてあげる」
それが良いことなのか、悪いことなのか。そんなことは考えていなかった。
ただ、イコはその少女をそのままにしておく事がどうしてもできなかった。
改めて周囲を見渡す。すると、崩れ落ちた階段の先、ちょうど螺旋階段の終着地点に当たる所にレバーが設置されていることに気がついた。
他に仕掛けらしきものは見当たらない、となればあのレバーが鳥籠を下ろす仕掛けなのだろうと思う。しかしそこまで辿り着くための道は崩れ落ちている。
いちかばちか、飛んでみようかと身構えた少年の頬に何かが優しく触れた。
柔らかな風が、光とともにイコを包む。
促されるように顔を頭上に向けると、その先にある窓は格子が壊れており、白い日差しが遮るものなく降り注いでいた。よく見れば崩れ落ちた階段の向こう側、レバーのある側の階段上の窓にも、一つだけ同じように格子が壊れている窓があった。
塔の内部には壁伝いに進めるような取っ掛かりになるものはないが、外壁ならば足場になるようなものがあるかもしれない。
そう考え、少年は窓の下の壁にできているでっぱりに手を掛け、壁を登って窓の上に立った。
外はテラスになっていた。テラスといっても周囲は高い壁が圧迫しており、景色を望むことには適していない。
しかし、イコはそんなことは気にならなかった。外に焦がれる気持ちは変わらないけれど、今はあの鳥籠の中の人のことが先だった。
イコはテラスに飛び降りると、左手側奥の方、レバーのある方向に向かった。テラスは丁度、もう一つの格子が壊れた窓の下まで続いていた。それぞれの窓の下には、台のようなものがあったのでそれを足場にして窓に上り、再び塔の内部へと身を躍らせた。
吊るされた鳥籠を気にしつつ、イコはようやくレバーのあるところまで辿り着くと、慎重に手を掛けて、レバーを動かした。
――ガタンッ
鳥籠が大きく揺れ、次の瞬間ガラガラと鎖の下ろされる音と共に、鳥籠は遥か下方に向かって移動を始めた。
ほっと安堵の息を漏らしつつそれを見届けていたイコは、我に返ると慌てて階段を下り始めた。行きと同じようにテラスを伝う真似はしない。崩れ落ちた階段を飛び越えることはできないが、螺旋を描いているから落ちた先には下の階段が待ち受けている。普通なら躊躇する高さでも少年にとっては問題ない。僅かな時でも惜しいというように、崩れ落ちた階段から下の階段に向かって飛び降りた。腰をしたたかに打ち付けてしまったが、痛みをこらえて身体を起こすと、後は下に向かってただひたすら駆け下りて行った。