願い人


「うはー、ようやくひとだんらくーっ」
 臨時に設置された――割にはある意味普段のポップンパーティ以上に凝った作りの――舞台から降りたあたしは、うーん、と思いっきり背伸びした。背伸びしつつも歩みは止めない。そのすぐ後ろからは、ぱたぱたぱた、と軽快な足音が続いて来ることもあるし。
「ニャミちゃん、お疲れー」
「おー、ミミちゃんもおつ――」
 後ろから相方に声を掛けられ、あたしは振り返らず片手を振るだけで気軽にそれに答え――ようとしたところで、異変に気が付いた。
 ――ぱたぱたばたばたどたどたどどどどどどどっ!
 背後から迫る足音は加速度的に音量をいや増し、気が付けば足音などと言う表現では生ぬるい、ばく進音と称するに相応しいモノへと変化している。同時にひしひしと感じるのは正しく生命の危機。我が身に降りかかるであろう危険に、脳内で非常事態を知らせる警報がけたたましく鳴り響く。
「ナニゴトー!!?」
 さすがにコレを無視し続けるのは生存本能が許してくれず、恐怖混じりの驚愕の叫びと共に振り返ったあたしの目の前には、
「さー、ニャミちゃん。笹に短冊を飾ってきましょー♪」
 浴衣であるにも関わらず、そしてなおかつ浴衣の裾をほとんど捲り上げることもなく、すさまじい砂埃を巻き上げて駆け寄ってくるミミちゃんの姿が。しかもミミちゃんの顔に浮かんでいるのは輝かんばかりの満面の笑み。
 そう、そこにいるのは間違いなくあたしの大切な相方だった。そこにあるのはいつもの、見慣れた彼女らしい表情だった。それは間違いなくあたしにとっていつもの日常のワンシーン――なのに、どうしてだろうか。まるでホラー映画の登場人物にでもなってしまったかのような、胸中から湧き上がるこの気持ちは。
 ……などと、頭の片隅で冷静に考える傍ら、思考回路の大部分は真っ白に染まっている。身体に至っては硬直しきって指先ひとつ動かせない。
 棒のように突っ立ったまま、ウサギの癖にイノシシの如くばく進する相方をどこか他人事のように眺め――
「ほらほらー。ニャミちゃんたら、ぼーっと突っ立ってると危ないってバ☆」
「危ない理由はあたしよりむしろミミちゃ――ごふぅっ!?」
 ――悲しいかな。
 それは他人事ではなかった故に、あたしを巻き込みいっそうのばく進を続けたのだった。
 ――っていうか、首! 首、絞まってますカラ! しかも高速で流れる周囲の景色がどんどん白くーッ!? ちょっとミミちゃ――!!






 きれいなおはなばたけでてをふるひいおじいちゃんをみたようなきがしました。まる。






 ――ハ!?
 パチリ、勢い良く目を開いた。
 開けた視界の先には、どこかくすんだ黄緑を下地に無数の色で飾られた空が風にそよいで揺れている。
「………………はりゃ?」
 気が付くとそこは笹っぽい――あたしはアレをいまいち笹と認識できない、というかしたくない――モノの下だった。
 どうも背中や頭の後ろが痛いと思ったら、ご丁寧なことに、あたしは地面に敷かれたござの上に寝かされていた。
「……えぇ……と……?」
 未だにはっきりしない頭を振りつつ身体を起こし、わけのわからないまま周囲を見回す。ほんの数刻前の出来事を思い出そうと、こんがらがったりばらけたりしてしまった記憶の糸を手繰り寄せようとして――
「あ、ニャミちゃん、目が覚めた? もー、いきなり気を失うから心配しちゃったじゃないー」
 こーいつぅー、とか言いながら上機嫌に人の額を突付いてくる相方を見た瞬間、あたしは何があったのかを瞬く間に、完璧に思い出す。
 思い出したからには、止まらなかった。
「――っだあぁ! 『しんぱいしちゃったじゃないー』じゃない! あたしが気絶した原因は間違いなくミミちゃんでしょうがっ! 大体なんであんな勢いで突っ込んで来る必要があるっての! あまつさえ人の首を絞めるというか極めるというか、そこはかとなく見え隠れしてたから殺意が!」
「いやだわ、ニャミちゃん。それは誤解よ? 大切な、大好きな相方に殺意なんてそんなとでんもない」
「殺意じゃないならなおさら性質悪いわッ! こっちは危うく臨死体験しかけとんじゃー!!!」
「やったぁ、貴重なた・い・け・ん☆」
「……うふふふふふふ。みーみーちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……?」
 微妙に――いやむしろかなり意図的に――すれ違う会話に、あたしを押し止めていた最後の、理性とも称される何かがプツンと切れようとする。しかし流石は我が相方と言うべきか、ミミちゃんは最後の最後、その何かが切れるぎりぎり寸前を完全に見切っているのか、おもむろに麦茶がなみなみと注がれた紙コップを差し出した。とっさに受け取り、その時になってあたしはずいぶんと喉が乾いていることに気が付く。……まあ、全力で怒鳴っていればそれも当然か。
 ちら、とミミちゃんの様子を窺うと、相方はどうぞどうぞと麦茶を勧めてくれる。何となくプッツンと切れるタイミングを逸らされ、毒気を抜かれてしまって、あたしは大人しく麦茶に口をつけた。ほどよく冷えた麦茶は心地良く、身も心も冷ましてくれる。軽く喉を潤すつもりだったけれど、あたしは麦茶を一気に飲み干していた。
「――っぷはあ! おいしー」
「……ニャミちゃん、ちょっとお風呂上りのおっさんチックだから。その飲みっぷり」
「……やかましい」
 自分でもそう思うところが無きにしも非ずだから否定はしないけど。
 一息ついたあたしが立ち上がると、ミミちゃんは手際よく敷かれたござを丸める。それから辺りを見渡していたかと思うと、会場内のパトロール中なのだろう、たまたま近くを通りかかったサイバーにござを押し付けていた。ちょっと言い合っていたけど、最終的には諦めた様子のパルに諭され、サイバーはござを持って行ってくれた。ちなみにあたしは、下手に口出ししてあたしが片付ける羽目になるのが嫌だったので、一歩離れたところで傍観。
 ……ごめん、正義の味方。こんな出来事に負けず、ぜひとも真っ直ぐ立派に育ってちょうだい……!
 そんな思いを込めて、どこか煤けて見える正義の味方の背中を見送る。
 正義の味方の背中を煤けさせた原因はあたしの隣でにこやかに手を振っていたけれど、サイバーとパル、更には肩に担がれていた為にサイバーの頭ひとつ分は飛び抜けて見えていたござの先端さえも見えなくなると、軽やかに踊るようなターンを見せてあたしに向き直った。
「――さ、ニャミちゃん。早く短冊を飾ろー」
「――さっきからずっと疑問だったんだけど、なんでミミちゃんそんなに短冊を飾ることにこだわってんの?」
「だぁってぇー、飾ってもらわないとニャミちゃんがどんなお願い事を書いたか見れないじゃないー」
 ………………………………。
 あー。つまり。
 ミミちゃんはあたしが短冊に書いたお願い事を一刻も早く見たいがために、あの殺人タックルをかましてきた、と。
 ……あぁ、何故かしら。首を絞められたわけでも、頭部を鈍器で殴られたわけでもないのに目の前が暗くなっていく。しかしあたしは、このまま意識を失ってしまいたいという誘惑を気力でねじ伏せ、
 ――ガンッ。
 大地を踏み締める、と言うよりも、親の仇か何かのように地面を蹴りつける勢いで傾いでいく身体を止め、その場に踏ん張る。
「んな理由で人に臨死体験さすなああああああっ!」
「えー。勝手に見たら怒るでしょ」
「そのくらいで怒るかー! 見たけりゃ見りゃ良いでしょ!」
 即座に返したあたしの言葉がそんなに意外だったのか、ミミちゃんはぽかんと目を瞠っていた。
「え、ホント?」
「……ホントも何も、ミミちゃんは何をそんなに警戒してるの」
「ほら、私とニャミちゃん、基本スペックが違うし。ニャミちゃんの本気のツッコミ喰らったらそれこそ臨死体験?」
「何を持って基本と言うか知らんけど、ミミちゃんの一撃であたしは臨死体験しちゃったんですけどネ……?」
「やったぁ、貴重なた・い・け・ん☆」
「それはもういい」
 頬に手を当て、えへへ、とにっこり無邪気っぽく見える笑顔を浮かべるミミちゃん。可愛らしいつもりなんだろう、常より300%くらいぶりっ子なポーズをきめる相方に、あたしは浴衣の袖から取り出した短冊の束を渡した。
「ニャミちゃん?」
「見たいんでしょ? 思う存分見ていいわ。その代わり、それ全部飾っといてね」
「え、ホント? いいの? ……っていうか、短冊の数、やけに多……?」
 最初は嬉しそうな表情だったミミちゃんも、床に立てられそうな――これが札束だったらなー、と思わずにはいられない――短冊の厚みに、綺麗な弧を描いていた口許が引き攣り始める。
「ほら、神の規定は七枚以上で上限なかったから」
「いや、常識として上限を持とうよ……」
「うん。あたしも密かにそう思っていたけど、今となっては飾るのあたしじゃないし、別にいっかー、なんて?」
「……拒否権は」
「ありません。というか、損害賠償の肉体労働払い扱いなので、この労働を拒否する場合はハンムラビ法典に則って同じ目に遭ってもらうから」
 むしろあたしとしてはそっちの方がいいかもしれないなー、と小声で呟きつつ、肩をぐるりと回した。
 硬い地面で寝ていたせいだろうか、ばきぼき、と音が鳴る。
「………………」
「………………」
 そうして、互いに無言のまま見つめあうこと数秒。
「……じゃあ、ちょっと飾るから待っててネ☆」
「……うん、がんばってミミちゃん☆」



 ――んで。
 近くの出店――と言っても歩くと往復で五分は掛かるけど――で、ラムネを二本買ってミミちゃんの元に戻ると、短冊の飾りつけはまだ終わっていなかった。原因は短冊の数が多いことに加え、あたしからの許可をもらったミミちゃんが、律儀に一枚一枚内容を熟読してから笹に括る、というやけに手間隙掛かる作業をしているせいだ。
 それでも、買って来たラムネが温くなる前には短冊の飾りつけは終わっていた。
「ミミちゃん、お疲れー」
 ちょっと前にもしたような掛け声にミミちゃんが振り返る。けど、振り返ったミミちゃんの様子にあたしは首を傾げた。
 覇気のない顔。どこか茫洋とした眼差し。激動の日々を戦い抜いたサラリーマンのごとき哀愁漂うその姿。
「……? ミミちゃん、本当にお疲れ?」
「――あー、うん、まあ……主に精神面で……? 疲れたと言うか、もういっぱいいっぱいです?」
「はい?」
 ミミちゃん、何だかとっても意味不明でしてよ?
 困惑するあたしに、ミミちゃんは透徹した眼差しで微笑み掛けると、手近な所にぶら下がっている短冊を指で弾いた。
「まあ、ほら、許可をもらったんでひと通り読ませてもらったんだけど」
「うん」
「………………」
「………………」
「………………」
「……ミミちゃん?」
 なぜか途中で口を噤むミミちゃん。沈黙に耐え切れなくなったあたしが先を促すと、ミミちゃんは深く深く――マントルまで届けよとばかりに深くため息を吐いた。それから、吐き出した以上に空気を吸い込むと、決して声を荒げることなく、しかし発する一字一句をすべてこちらに刻み付けるように、言った。
「なんで、ぜんぶ、タイマーに、かんすること、ばっかり、な、の、か、し、ら」
「へ? だって、わざわざお願いしなきゃいけないようなことなんて――自分でどうにかできないけどどうにかしたいことなんて、ダーリン周辺のことくらいだし」
 ミミちゃんの疑問に答えながら、短冊に書いたお願い事の内容を思い返す。
『ダーリンが寝坊しませんように』
『ダーリンがロケ中ドジやらかして怪我しませんように』
『ダーリンが無茶言ってスタッフに迷惑掛けませんように』
『ダーリンがお腹出して寝るようなことがありませんように』
 その他、『少しは忍耐つけて電話回数が減りますように』とか『変な物売りに引っかかっていらん土産かって来ませんように』などなどエトセトラエトセトラ。
 一見、そんなの口で言っとけば良いだろう的内容に満ち溢れたお願い事の数々は、タイマー相手に口で言ったぐらいじゃ安心できないからわざわざお願い事にしているのだ。
 ――と言うようなことを懇切丁寧に説明したにも関わらず、ミミちゃんはますます肩を落とすばかり。
「……ニャミちゃん、それ、ノロケにしか聞こえなくてよ……?」
「ノロ……!? いや、違うって! つまりダーリンはそんだけ手間が掛かるんだって! むしろ同情して!?」
「無理無理」
 遠い眼差しをしたまま、さらっと否定の言葉を返してくれやがる相方。
「だいたいさー、願いごとの数の上限がないにも関わらずなんでニャミちゃん自身に対するお願い事がないのー」
「……えー? いや、お願いするほどのことってないし?」
「いやあるでしょ。ほら、相方と末永く仲良く組んでいられますように、とか」
「それこそお願いするまでもないでしょ? あたし達は最高最強の相方同士なんだから」
 途端、ミミちゃんの動きが止まる。
 あたしも、自分で何を言ったかを理解すると同時に動きが止まった。
 再び沈黙。しかも互いに微妙に赤面状態で数秒経過。
「……く。やるわね、ニャミちゃん。思わずくらっときちゃったわ」
「……ふふふ。あたしも自分で言っててくらっときたわ」
 くらっと、の意味は違うんだろうけど。
 ああ、思わず本音を漏らしてしまった。聞かれてまずいことじゃないけど、改めて言うのは無性に気恥ずかしい。冗談交じりで言うならともかく、真顔で言っちゃうのは柄じゃない。
 そうして、三度沈黙。
 ややあって、ミミちゃんは軽く咳払いした。それはともかく、と殊更おざなりな話題転換を促すひと言に、意識と雰囲気を切り替える。
「『もっと素直になれますように☆』とか」
「あらあら、ミミちゃんたら。あたしは今でも充分素直な自分に満足しててよ?」
「……いやまあ、ある意味充分素直だと思いはするけど」
「……どういう意味よ」
「ほほほほ。じゃあ、あれは? 乙女の永遠のテーマ、『ダイエット』」
「それこそ自力でどうにかしなきゃいけない問題じゃない」
「まあ、確かに……ああ、そうだ。自力でどうにもできない『無病息災』とか『交通安全』とか」
「それなら――」
 うん。確かにそれは自力だけで完全にどうにかできる問題じゃない。
 だからあたしも、最初はそれくらいは書いておこうかと思ったんだ。
 でも、すぐに気が付いて書くのをやめた。
 そして、それに気が付いたから、余計に短冊に書く願い事がタイマーのことばっかりになったんだ。
 だって――

「あたしが書かなくても、ダーリンが書いてるから」

 余計なお世話だー! って叫びたくなるくらい、人のことばっかりお願い事してる姿が目に浮かぶよう。
 確かめたわけじゃないけど、自信を持ってそう言える。
 だったら、書かれ忘れる可能性が高いタイマー自身に対するお願い事こそ、タイマーの代わりに書いておかないといけないじゃない?
 その結果、願いごとの短冊の大量生産に繋がってしまったのは、まあ、なんだ。予想外と言うかむしろ、つまりはそれだけ人に心配掛けるタイマーが悪いってことでファイナルアンサー。
 うん、と納得の頷きを繰り返すあたしの隣で、ミミちゃんはなぜか真っ白く燃え尽きた人のようになっていた。



 その後しばらくして、復活したミミちゃんと一緒にラムネを飲んだんだけど、時間を置きすぎたラムネはすっかり温くなっていた。冷たい喉越しによる爽快感の失われたラムネは、ぱちぱち弾ける刺激を凌駕して、甘ったるさばかりが口いっぱいに広がる。
 ちょっと甘すぎて飲みにくいなー、とラムネを持て余すあたしを他所に、ミミちゃんはあっさりラムネを飲み干した。
「すごーい。ミミちゃん、甘くない?」
「――甘さに関しては、すでに麻痺してるから。あぁ、今日はケーキとか食べない方が良いよね。絶対味がわかんないよね……ふふふ……あーもう、ごちそうさまごちそうさま」
 どこまでも果てしなく遠い眼差しで呟くミミちゃん。
 ――いつ、そんな甘いものを食べたんだろう?



 それから余談ではあるが、タイマーが書いた願い事の内容について、あたしの説が正しかったことは間もなく証明された。
 ……むしろ、予想を超えていた。
「うわ、すごい。この辺一帯、タイマーの願い事しか飾られてないよ。ニャミちゃん、愛されてるー」
「……………………だぁぁぁぁあありぃぃぃぃぃいいいいんっ!! ああもう! お願いだから限度と言う言葉を学んでこいー!!!」
 気炎を吐くあたしの隣で、ミミちゃんがぽつりと呟いた。
「……『目に見える範囲』ってだけでも、充分すぎるくらい制限してると思うよ。タイマーにしては、だけど」





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