七夕準備
テーブルの上を覆いつくす色とりどりの色紙の海。
適当に取った色紙にハサミを入れようとした手を止めて、スギは眩い日差しの差し込む窓に顔を向けた。
窓の向こうでは雲ひとつない青空に燦然と輝く太陽が容赦なく照りつけていて、遠くに見えるアスファルトがゆらゆらと波打っていた。きっと今日も今年の真夏日を更新するんだろうな、とスギはぼんやり思う傍ら、小さくため息を吐いた。
――確かに暑いのは嫌いだし、空調の効いた室内は快適だけれど、こんな陽気に何をしているんだろう……
そこまで思って、改めて手元を見やる。
何を、というか。
もちろん短冊作りなわけだが。
そもそも事の始まりは、突然送られてきたポップンパーティの招待状だった。
招待状が送られてくること自体は、まあ、問題ではない。それが7月1日に届いて、いきなり7日の七夕にポップンパーティを開く、という内容であってもだ。唐突な開催でも主催者がMZDなら仕方がない、と大抵のポッパーは素直に納得しているのではないだろうか。
問題は招待状に追記されていた注意事項だった。
必ず浴衣、作務衣、甚平のどれか着用のこと。
それから、短冊ひとり最低七つがノルマな。(願い事複数可能)
――ノルマってなにさ。
奇しくもほぼ同時に同内容のツッコミを呟いたスギとレオだった。今頃、同じように招待状――引いてはその送り主に対してツッコミをしているポッパーは多いのではないだろうか、とも考えたものだったが。
それはともかく。
男ふたりだけで延々と短冊作りに励む姿を想像して、暑苦しいんだか寒々しいんだかわからない想像に至り、だったらいっそのことリエやさなえたちも誘ってみんなで七夕飾り作りをしよう、という話の運びになったわけだ。
「スギくん?」
さなえに声を掛けられ、スギは我に返った。
「急にぼーっとして、どうしたの? 暑い? クーラーの温度、もう少し下げましょうか?」
「あー、いやいや大丈夫。クーラーは快適。むしろこれ以上下げられたら、あったかいカフェオレが必須になるよ」
「そう?」
「そうそう。気にしなくていいよさなえちゃん。スギは単にやる気がないだけ」
したり顔で割り込んできたレオはというと、確かに色紙を切って着々と短冊作りを進めていたが、綺麗な長方形の短冊に色紙を切り抜いているさなえと違いレオの作る短冊はやけに歪んでいたり、波打っている。贔屓目に見て、平行四辺形や台形に見えると言えなくもない。
何より、ハサミを動かす手つきがやたらとぞんざいだ。
――それはやる気があって作っている物体だとでも言うつもりかい、レオ……
そんな返し言葉が浮かんだけれど、完全に作業を放棄していた身で言い返せるはずもなく、スギは再び小さくため息を吐くと改めて色紙にハサミを入れ始めた。
その時、パチン、と響いた音はどう考えても紙を切る音ではなく、何かと思って視線を動かすと、そこにはなぜか針と糸を駆使しているリエの姿があった。パチン、と響いている音は糸切りバサミで縫い終わった糸の始末をしている音だった。
洋服を作っている時と同じとても真剣で、とても楽しそうな表情を浮かべているリエの手の中では、彼女の小さな手にすっぽり隠されてしまいそうなくらい小さな着物――それとも浴衣だろうか――が形作られていく。
「……リエちゃん、何してるの?」
少々面食らったスギに問いかけられ顔を上げたリエは、最初、何を問いかけられているのかわからなかったらしく、きょとん、と目を見開いてスギを見詰め返した。
「何って?」
「うん、いや……それは?」
スギに指差された先を辿って、リエは小さな浴衣を持ち上げた。
それそれ、と頷くスギに、やはり何を疑問に思われているのかわかっていない様子で、リエは小首を傾げつつ、
「七夕さんだよ? 紙衣。……紙じゃないけど」
「『七夕さん』? 『紙衣』?」
「七夕に、笹に飾る飾りのことだけど……言わない?」
「あんまり」
困った表情のリエに、なんとなく申し訳なくなったスギが、これまた困った様子で真面目に返答していると、さなえが助け舟を出してくれた。
「リエちゃんのおばあさんの家だと、そう言ってたんですって。私もリエちゃんと一緒に七夕をやるようになってから初めて知ったんだけれど」
そうなのか、とスギが素直に納得していると、レオが興味津々と言った様子で身を乗り出してきた。
「その浴衣どうするの? 人形に着せて飾るとか?」
「ううん。このまま飾るんだよ。小さい頃は色紙で着物の形に作ってたんだけど、せっかく浴衣が縫えるようになったから。おばあちゃんの家だと小さな子ども用の浴衣を飾ったりしてたから、人形サイズの小さな浴衣を作って飾るのでも良いかなって」
「へえ……変わった飾りだねぇ」
「そうかな? ちゃんと意味はあるんだよ。お裁縫の上達を願う飾りなの。短冊とは少し違うけどこれもお願い事だからいいかなって思って」
「それはリエちゃんらしいね」
楽しそうなリエの表情に顔をほころばせたスギが頷き、
「着物の形で裁縫上達祈願になるんだ」
感心した様子のレオは何かを思いついたようで、突然張り切って紙を切り抜き始めた。
「……どうしたんだ、レオ」
「内緒」
ニヤリ、と笑みを浮かべる相棒に、変な奴、とスギが首を傾げていると、
「それでね。はい、これ、スギくんたちの分」
「え?」
満面の笑みを浮かべたリエが三人の前に小さな浴衣を置いていった。先ほどまで作っていたのは四着目だったらしい。丁寧に、それぞれの浴衣には『sugi』『reo』『sanae』と刺繍までしてある。よくよく見れば、先ほど作りえ終えたばかりの浴衣には『rie』と刺繍が縫いつけられていた。
――いやでも僕が裁縫上達しても。
そんな思いが顔に出てしまったスギに、リエは得意気に胸を張って見せた。
「大丈夫、他にもちゃんと意味があるんだよ。病気や災害から身代わりになって守ってくれますように、って」
そう言って向けられたまなざしはとても真剣なもので。けれどそれはすぐにふわりとした柔らかい微笑に彩られた。
目の錯覚だろうかとスギが目を瞬かせていると、リエはほんの少し眉を吊り上げ唇を尖らせて、怒ったような、拗ねたような表情を作った。
「特にスギくんたちはすぐどこか旅行に行っちゃうもんね?」
「あははははー」
思わず乾いた笑いを浮かべてしまったスギに、「だから」、とリエは囁き声で続ける。
「どこに行っても怪我とかしないように。元気で帰ってきてくれるように」
「リエちゃん……」
僅かに俯いたリエの表情は髪に隠れてしまって、はっきりとは窺えない。
スギは無意識の内に少女の頬に手を伸ばし、伸ばした手が、あとほんの僅かの距離でリエに触れそう、と言うところで――
――どん、と何かが上から覆い被さってきた。
もっとも、何かが、という推測に至る前に覆い被さってきたモノの正体を悟っていたスギは、振り返りもせず覆い被さってきたモノ――レオに不機嫌な声を投げつけた。
「レオ……お前な」
「じゃあ、僕はお礼にコレをあげよう」
「……無視するな。そして上に乗るな、レオ。重いし暑い」
抗議するスギに「はいはい」とおざなりな返事を返し、レオはリエに手のひらを差し出した。そこに、ちょこん、と乗せられたものにリエは目を瞠った。
茶色の色紙を棒の飛び出たひょうたんのような形に切り抜き、丸く切り抜かれた黒い色紙を貼り付けたり、ペンで数本線を引いたその形は、紛れもなくリエが――リエだけでなく、スギやレオやさなえも――見慣れた物体だった。
「これ……ギター?」
「その通り。着物の形で裁縫上達ならギターの形でギターの腕前向上祈願、ってことにするのもアリだろ?」
「あはは、レオくんすごーい! とっても上手だよ。ありがとう!」
「リエちゃんには必要だろうと思って」
本人の努力だけじゃいかんともしがたものがあるからね、そう言って肩を竦めるレオに、リエはかくん、と首を傾げて不審そうなまなざしを向けた。
「……もしかして、リエ、ちょっと馬鹿にされてる?」
「とんでもない! あ、あとさなえちゃんの分も作ったんだけど……」
話題を逸らすようにレオがもう一つ取り出したギター型の短冊は、さなえが愛用しているギターに合わせて白い色紙を使用していた。それをさなえに差し出しながら、でもさなえちゃんには必要ないかな? と今更ながらにレオは首を捻った。
「いいえ、私ももらうわ。まだ全然レオくんたちの足元にも及ばないもの――ありがとう」
くすくす笑いながら白いギターの短冊を受け取るさなえに、レオは僕より上手くなられてもそれはそれで困るんだけどなぁ、などと口の中で呟いていた。
その時、レオの目前にハート型に切り抜かれた赤い色紙が差し出された。
差し出し主は先ほどからレオが乗っかっている長年の相棒。最初の抗議以降、やけに静かにしていたと思っていたら、このハート型を切っていたらしい。
「レオにはコレをあげよう」
「なに、このハート型」
「『性格が良くなりますように』または『心優しい人間になれますように』」
さらりと失礼な発言を吐く相棒に、レオは更に体重をかけるようにひじを立てて乗りかかりながら、にこやかな笑みを浮かべた。もちろん、上に乗りかかられているスギにその笑顔は見えないのだが。
「……それってきっとスギにこそ必要だよね。遠慮なく君が使いなよ」
「いやいや、僕、これ以上性格が良くなりようがないし」
「あははー。おもしろいじょうだんだー」
「すごい棒読みだな、レオ」
徐々に不穏な空気を醸し始めた二人を、どうやって止めようかと困り顔で見つめるさなえの服の裾が、小さく引かれた。いつの間に移動してきたのか、ペンを手にしたリエがさなえの手元にある短冊を指差しつつ、
「……さなえちゃん、短冊にお願い書こうか」
「……そうね」
スギを押しつぶそうとするレオと、そのレオを押し退けようと身体を起こそうとするスギ。ややレオ優勢のまま地味に冷戦を始めた男性二人に、女の子たちは苦笑交じりのため息を吐いた。
願い事、というのはいくらでも湧き出てくるようで、いざ口にしよう、書き出そうとしてもその時になると案外思い浮かばなかったりする。その結果、いくつでも書いていいとなると――それどころか最初から七つ以上、とノルマが課せられている――「あとどんな願い事があったけなぁ」と首を捻る羽目になってしまう。
結局、男性陣二人の冷戦は、スギが力を籠めて身体を起こそうとするタイミングを見計らってスギの上からレオが退いたため、スギが勢い余って椅子に座ったまま後ろに倒れ込み――ただし咄嗟にすぐ傍らのレオの腕を掴んでレオも道連れに床に倒れ込む、という両者痛みわけの形で一応の決着はついたらしい。
その時になって、すでに願い事を書き終えているリエとさなえに気付き、スギとレオも慌ててノルマ達成の為短冊を片手に頭を悩ませ始めた。
「うーん……『交通安全』」
「『無病息災』?」
「『必勝祈願』とか」
「……何に必勝する気だよ……」
「あ、やっぱダメ? あとはー……チョコ一年分ってありかな」
「書くだけならありじゃないか? よし、じゃあ僕はカフェオレ一年分。」
「……それ、願い事なのかなぁ……」
「……多分、大丈夫じゃないかしら?」
途中から願い事というより単なる物欲に走っている気がしないでもない。
それでも外が明るいうちに全員がノルマを達成できた。もっとも外が明るい、と言ってもこの時期日の差す時間は長い為、一日の四分の三は過ぎている。
「なんとかノルマは達成できたね」
「どうする? まとめて預かっておこうか?」
短冊作りの会場提供者でもあるスギとレオの申し出に、リエは勢い良く首を横に振った。
「え、い、いいよ! ちゃんと七夕の時に持ってくるから!」
必死なその様子に、何事かひらめいたらしいレオはことさら親切な様子を装って、
「……別に勝手にお願い事を見たりしないよ? そりゃまあ、偶然短冊が風に飛ばされたりして、偶然願い事が見えちゃうことはあるかもしれないけど? それは不可抗力だよね」
「……ぜったい持って帰ります」
「――大丈夫。スギには秘密にするから」
「な、なにが、なんでそうなるの! もう、レオ君のいじめっ子!」
「レオ……」
いい加減にしなさい、とスギは楽しそうな相棒の頭を叩く。思いのほか力が籠もっていたようで、レオは頭を抱えて蹲った。その時「スギだって書かれた内容が気になってるくせに」という恨みがまし気なレオの呟きが聞こえたけれど、それは無視。
さっさとリエとさなえを玄関まで送る。
「じゃあ、当日は短冊を忘れないように」
「うん。お邪魔しました」
「スギ君とレオ君も忘れないようにね?」
「あー大丈夫。少なくとも僕は」
「――僕だって大丈夫だよ」
会話が聞こえていたのだろう、リビングの方からレオの拗ねた声が聞こえてきた。
どうだか、と肩を竦めるスギに目をやり、それからリビングの方を見て、女の子二人は顔を見合わせ「どっちもどっちよね?」とこっそり笑いあっていた。
スギが赤いサインペンでカレンダーの7月7日の日付を大きく丸で囲い、空白に『短冊を忘れないこと』と注意書きをしていると、背後からその様子を覗き込んでいたレオは「そういえば」と呟きを零した。
「――リエちゃん、笹に飾ったら人目に触れる可能性が高いことに気付いているのかな。短冊の願い事」
尋ねつつ、きっと気付いてないだろうな、と確信しているレオに、こちらも同じ結論に達しているらしいスギが、
「……言っといた方が良いかな」
「あれだけ恥ずかしがってたわけだし……だったら行かないって言い出すかもよ」
「…………それは嫌だな……」
「あー、リエちゃんの浴衣姿が楽しみなんだろ。スギのオヤジー。ムッツリー」
「なんでそうなる」
「え? 楽しみじゃないの? 浴衣姿」
「…………」
「否定しないって事は図星。ほーらやっぱりオヤジでムッツリだー」
実際楽しみなだけに否定できずにいたら、確定されてしまった。
――だからどうしてそれで『オヤジ』で『ムッツリ』になるんだ。
――そういうレオだってさなえちゃんの浴衣姿が楽しみなくせに。
喉元まで出掛かった言葉をむりやり呑み込んで――生半可な反論では倍以上になって戻ってきてしまう――スギは手にしたサインペンを投げつけた。