君に願いを
「スギくん、早く早く!」
「リエちゃん、走ると転ぶよ?」
段々と小走りになっていくリエちゃんを呼び止める。
楽しんでる所に水を差すつもりは毛頭ないんだけど、浴衣っていうのはいつも彼女が着ている洋服と比べるとどう考えても動きやすそうに見えないし。しかも履いているのは下駄だし。実のところ、リエちゃんの歩調が上がってぼくの前を歩くようになってきた辺りから、今にも転ぶんじゃないかとはらはらしていた。
まあそれでも、今の言い方は子ども扱いしすぎてたかなぁ、と胸の内で反省してると案の定、
「もうっ、リエのこと子ども扱いするんだから」
ぷぅ、と頬を膨らませて、それでもちゃんと足を止めてくれたリエちゃんに、ゴメン、と素直に謝る。
謝ったけれど、なぜかむしろ余計にリエちゃんの眼差しがうろんなものになっていく。
「……スギくん、顔が笑ってるよ」
「かわいいなぁって、改めてしみじみ思って」
「それ、褒めてないでしょう?」
「これは心外。混じり気なく心からの褒め言葉だよ?」
真顔で訴えるものの普段の行いのせいか、なかなか疑いの眼差しが晴れない。こういうのを自業自得って言うのか……ちょっと本気で普段の行いを省みたくなったかもしれない……。
そんな反省の気持ちをおくびにも出さず、ぼくはあくまで真面目な表情を保ったままリエちゃんの視線を真っ向から受け止める。
じぃ、と見つめてくる眼差しを真っ直ぐ見返して――
…………。
……………………。
――ぷ。
ふたり同時に吹き出した所で、
「しょうがないから、今回は信じてあげます」
「どうもありがとう」
精一杯澄まして言うリエちゃんに、ぼくも精一杯神妙な顔を作ってお礼を言う。それがまたおかしくて、ぼくらは堪えきれずにまた吹き出した。
MZDがどこからか調達してきた笹(と呼ぶのがはばかられるほど、とにかくばかでかい謎の植物)に短冊を吊るし終えた後、ぼくとリエちゃんは七夕ポップンパーティの会場内を見て回っていた。
夏祭りの会場宜しく色んな出店が出ているので、ちょっと見て回るだけでもひと苦労だったりする。
遊びの分野なら射的だの金魚掬いだの水風船釣りだの、食べ物なら焼きソバだのたこ焼きだの綿アメだの、とスタンダードな出店が並ぶ中、人種だとか国だとかを超越した集まりゆえの珍妙――もとい、ちょっと変わった出店も多い。
というか、どこぞの妖怪バンドの自称・オオカミ、他称・犬、のドラム担当者は普通に炊き出ししてるし。
どこぞのカリスマ美容師は普通に青空美容室開いて満員御礼状態だし。
笹の下でワルドックと握手! とか、着ぐるみバトルってなんだろう……?
けど、見て回っている内に、例え疑問に思おうともそれが何なのか初見で分かるような気がするものである分まだましか、と納得してしまいそうになるくらい、わけのわからない出店らしきものに次々と遭遇するから侮れない。
とりあえず怪しげなものはことごとく避けることに決め、ぼくらは基本的に普通の出店を回ることにした。……まあ、リエちゃんはどんな出店であろうと(特にそれが顔見知りの経営しているものならなおさら)屈託なく近寄ろうとしてはいたけど、その辺はぼくが全身全霊をもって防いでいた。
時おり、リエちゃんにはもう少しこう……疑う、まで行かなくてもいいから、危機管理能力を備えて欲しいような、ぼくがフォローすればいいだけのことだから今のままで居て欲しいような。オトコゴコロとしてはなかなか複雑だよなぁ、なんて思ったりして?
……いや、オトコゴコロについては今はどうでもいい。
兎に角も、ぼくらがひと通り見て回っていくつかの戦利品を手に休憩する頃には、笹に短冊を吊るす人はまばらになり、ほとんどの人が周囲の出店に散っていた。
そんな中、ぼくらが休憩場所として選んだのは件の笹の下だった。灯台下暗し、とはよく言ったもので、短冊を吊るし終わってしまえば、ひと気の減った笹の下は格好の休憩場所になっていた。
今や笹の下は笹の葉がすべて短冊に化けたかってくらい、短冊だらけになっている。それこそ無数の短冊とその隙間から見える笹の葉に覆われて、笹の下からはちらりとも空を見ることはできない。でも、ここは星空なんて目じゃないくらい色鮮やかな空間になっていた。
短冊に使われている紙は各自で勝手に持参してる分、色も材質も実に多種多様だから、さながら色の洪水が起きてる真っ只中に飛び込んだ気分になる。それに、日が暮れても短冊を吊るしやすいよう所々に置かれた灯りを受けて、光沢のある紙で作られた短冊がそれこそ星みたいに煌いていた。
それは、たくさんの色と、たくさんの煌きに囲まれた不思議な空間で――ひと休みのつもりだったとは言え、ぼくらは言葉もなくただそこに佇んでいた。
笹が巨大な分、笹の中心に近いほど周囲の喧騒が遠くなる。
ちょっと耳を澄ますと、風に揺られて笹の葉と短冊がさらさらと音を立てるのに混じり、リエちゃんの手にした風鈴が涼しげな音色を響かせていた。風鈴はぼくの輪投げの戦利品だ。実のところ他の結果が芳しくなかったけど、最後の最後で少しは一矢報いたってところだろうか。他の結果の詳しい内容については是非とも触れないで欲しいので、何が何でも、特にレオには知られたくないという決意を胸に秘めてたりする。
……一応、リエちゃんに口止めはしておいたけど、後で念を押しておいたほうがいいだろうな……。
「さなえちゃんたちも、今頃お店を見て回ってるのかなぁ?」
リエちゃんはしばらく周囲の出店に目を凝らしていたらしい。しかしながら、やっぱりこの人込みじゃ見つからないようだった。ただでさえそれなりの距離があって人がマッチ棒くらいにしか見えない上に、当然その人たちだって動き回っている。そんな中でたったふたりを見つけ出すのはかなり難易度が高い。
それでも探している目線がチョコバナナとか水あめ(チョコに水あめをつけたものもあった)のお店の辺りに向いてる所が、流石だ、とぼくは素直に感心していた。
「……そうだねぇ。その調子でチョコ関連のお店を見張っていれば、きっと近い内に見つかるよ」
「あ、やっぱりわかっちゃった?」
「うん、まあ。ぼくが探すとしても同じことをするだろうしね」
どこか気まずげなリエちゃんに、ぼくはさもあらんと頷きを返した。さなえちゃんと一緒にレオがいるなら、チョコのあるところにレオが居ないはずがない。これは1+1が2になる数式以上に明らかな、常識と言うよりすでに定説、いや宇宙の真理。だから、それを前提に探すのは間違いじゃないんだから、気にすることはないよ、と訥々と述べた。
「……レオくんが宇宙の真理……?」
「いやいや。リエちゃん、それはかなり嫌な略し方だから」
そんな馬鹿話をしていたら、いつの間にかリエちゃんの目線がぼくの袖下に移っていた。
「リエちゃん?」
「うん……それ、なぁに?」
「……それ?」
まったく心当たりがなかったので、僕自身、首を傾げつつ袖元に手をやると、かさり、と渇いた感触。おや、と思って取り出すと、それは見覚えのある短冊だった。
「あれ? スギくん、吊るし忘れ?」
「あー……違う違う。これは、没にしたやつだよ。そっか、間違えて持ってきちゃってたのか」
心当たりだけならばっちりある。
多分――いや、間違いなく、出かける前に短冊を探して部屋中ひっくり返していた時、これが袖に入ってしまったんだろう。短冊を探し始めたのは浴衣に着替えてからだったしなぁ……。というか、すっかり捨てたつもりでいたんだけど、捨て忘れてたか。
「没って?」
「んー、見る?」
どうぞ、と差し出した短冊を覗き込んだリエちゃんは、そこに書かれた文字を読み上げながら首を傾げた。
「……『しあわせ?』……?」
「うん、そろそろネタが尽きかけてたから、どうせならお約束的なものを、って思ったんだけどさ」
「なんで疑問系……?」
「なんでと聞かれても、そうだなぁ…………どうもしっくりこなくて?」
普通に『しあわせ』って書いたら、まるで今がしあわせじゃないって言ってるみたいで嫌だった。
それ以上に、そんな願いを叶えてくれるのが笹――天とか星とか、それこそカミサマってのが(真っ先に思いつくのがMZDなのがよりいっそう)癪だったし。というか、そんなものに任せてたら叶えてもらえなさそうだし。
大体、MZD(気が付けば確定していた)に叶えてもらう幸せって何さ、って考えたら、思わず背筋が寒くなったから、この短冊は没にした。
――それに自分で書いておきながら、『しあわせ』がどんなことかいまいち分かってない、ということもあった。
しあわせってなんだろうな、って今更深く考えるキャラでもないんだけどさ。
言うだけなら簡単な『しあわせ』。けど、具体例を述べよ、なんて言われたら意外と言葉に詰まってしまう。
例えば単純に『しあわせ』は『好きなもの』とすれば、ぼくならカフェオレ1年分とか――すでに書き終わって吊るしちゃってるけど。
もうすぐ発売の復刻版レコードが欲しい――欲しいからこそ、すでに予約済みだな。今更叶えてもらうまでもない。
例えば。
それを、あると嬉しくて楽しい、大好きなモノとするなら。
そして、なくなると淋しくて悲しくて苦しくなるモノとするなら。
「……それなら、そりゃまあ、ここにあるけど、それを素直に書くのってどうなのさ……」
「スギくん?」
うっかり零れた呟きに、リエちゃんがどうしたのかと顔を見上げてくる。なんでもないよ、って誤魔化して――ふと、思いついた。
思いついたら、即実行。
ぼくはリエちゃんの手を引いて、手近な記入台に向かった。記入台はその名の通り、短冊を追加したいとか書き直したい人用に、笹の下にいくつも置かれた小さな机だ。もちろん、ペンも予備の短冊も用意されている。
……ほんと、こういうことの用意はやたらいいよな、MZDって。
「――スギくん?」
「ちょっと待っててもらえる?」
「うん……?」
突然の行動にずいぶん驚いただろうに、詳しい説明をしないぼくの言葉に、首を傾げつつもリエちゃんは頷いてくれた。
ぼくは没にしていた願い事の『?』部分線で消して、新たに文字を書き足した。
そうして完成した短冊を持って、不思議そうに見守っていたリエちゃんの背後に回る。急に背後に回ったぼくに驚いたリエちゃんが振り返ろうとするのを何とか押し留め、
「あー、ごめん。もうちょっと待って?」
「え? え?」
とても困ってるだろうな、っていうのは分かってたんだけど。
ぼくは短冊をリエちゃんの髪に結びつけた。いや、ちゃんと取れやすい結び方にはしてるよ? 結構上手にできたチョウチョ結び。
「はい。完成ー」
「……すーぎーくーん」
リエちゃんが膨れるのに、ごめん、と一言謝る。
「これはやっぱり、どう考えても、リエちゃんにお願いしたほうが絶対叶うと思ってさ」
「リエに?」
頭の後ろで揺れている短冊を気にするリエちゃんに、取ってもいいよ、と促した。
「……取っていいなら、何でわざわざ髪に結ぶの」
「いやあ……そうした方がご利益あるかなぁ、と」
リエちゃんのもっともな言葉に正直に答える。
しょうがないなぁ、って苦笑を浮かべたリエちゃんは、髪から短冊を取るとそこに書かれた一文に目をやって、
「…………!」
真っ赤になって、止まってしまった。
「おーい、リエちゃーん?」
「…………」
「リエちゃーん。聞こえてるー? ぼくの声、届いてますかー?」
「…………」
「……返事してくれないと、チューするぞー」
「!? ……スギくん、なに言って……ッ!」
ずいぶんと効果覿面だったらしいぼくのひと言で、途端に我に返ったリエちゃんは音を立てて後ろに下がってしまった。砂煙さえ舞いそうな勢いに、そんなに警戒してくれなくても……と苦笑しつつ、ぼくは離れてしまった数歩分の距離を縮めて、
「あぁ、良かった、聞こえてた。どうしたのさ、急に黙っちゃって」
「……! な、だって、スギくん、これって……!」
動揺のあまり涙目になって短冊を握り締めているリエちゃんの姿に、そんなに困らせることだったろうかと、らしくもなく弱気になる。
「…………ダメ?」
「だだだダメって、そういう問題じゃなくて」
「…………イヤ?」
「え!? そんな! イヤとかそんなことは全然ないけど……っ!」
「…………ッ」
力いっぱいの否定をされて、ぼくは思わず息を呑んだ。次いで、間抜けな声を出してしまいそうな、にやけかけた口許を咄嗟に片手で押さえる。
混乱中の本人は、自分が何を言ったのかわかっていないんだろうけど。
我ながら現金なもので、それだけでらしくもない弱気は跡形もなく吹き飛ばされて、あっという間に普段調子が戻ってきた。
ぼくは弛んだ口許を引き締めると、せいぜい真面目な顔を作って、
「……じゃあ、OK?」
「お、OKって、だからそういう問題じゃ……!」
「……どっち?」
答えてくれるまで許さないよ、とリエちゃんの頬に手を当て、慌てている彼女の顔を真正面から覗きこんだ。さっきとは逆に、ぼくが向ける視線をリエちゃんが真っ直ぐに見返す。……見返す、って言うより、顔が近すぎて視線を背けられないだけかもしれないが。
どれくらい、そのままでいただろうか。
ずいぶん長いようにも感じたけれど、実際の所はほんの数呼吸分くらいしか経っていなかったと思う。
――こくり、と。
それは本当に微かなものだったけれど、彼女は確かに頷いてくれた。
力いっぱいの否定を聞いて、充分すぎるほど答えは分かっているつもりだった。それでも、ちゃんと頷いてくれたことに実は心底安堵したりして。
「……あぁ、よかったぁ」
これが本心からの、本気の安堵だって気付いてもらえたかは微妙なトコだったけど。(何せ、涙目でちょっと睨まれた)
『しあわせにしてください』
それは、君にしか叶えられない願いごとだから。