ささのはさらさら


 7月7日。
 早朝、窓のカーテンの隙間から差し込む光が今日の天気を知らせてくれる。
 前日までの天気予報ではずっと降水確率0パーセントを報じていたし、何より今日のパーティを企画している人物――まあ、人じゃないけど――が人物だから、まさか万が一……どころか億が一にだって今日という日に雨が降るようなことはないだろうと確信してはいたけれど、晴天の空を目の当たりにすれば、それはそれでやっぱり嬉しい。
 とりあえず僕はレオの部屋に入ると、枕を抱えて寝こけたままの相棒の顔めがけてリビングから持ってきたクッションを投げつけた。「ううっ」ってうめき声は聞こえたけれど、目を覚ます様子はなし。
「レオー、起きろー」
 呼びかけながら、ついでに部屋のカーテンを勢い良く開けていく。カーテンをひとつ引く度に薄暗い部屋が明るくなっていった。
「……なんなんだよ、スギ……」
 そこまでしてようやく目が覚めてきたらしいレオが、もぞもぞと動いて身体を起こしてきた。頭のあった近くに落ちているクッションを手に取ると、クッションと僕を交互に見やる。しばらくして得心した様子でひとつ頷くと、やおら大きく振りかぶり僕に向かってクッションを投げてきた。
 けど、それくらいは予想済み。
 多少、見当違いの方向に投げ飛ばされたクッションがそこらに置かれたギターやらレコードやらに当たらないよう、僕は手を伸ばしてわざわざ受け取ってやる。もっとも、そんな人の心遣いをレオはまったく見ていなかったようで、半分寝ぼけた顔のまま視線は窓の外に向けられていた。
「おー……なんか眩しい……」
「喜べレオ。今日は晴れだぞ」
「おー……」
 いつもだったら「まさかそんなことを言うためだけに人を叩き起こしたのかい」って文句のひとつも言われるところだったけど、レオも今日の天気は気にしていたようで、僕の説明に素直に頷き返す。
 ――単に、まだ寝ぼけてるだけだって気がしなくもないんだけど。
「良かった良かった……」
 ぶつぶつ呟くレオの身体が徐々に傾いでいく。
 最終的には再びぱたりとベッドの上に横になり、
「んじゃ、おやすみ――」
「寝るな。起きろ」
 僕はレオの顔に力いっぱいクッションを押し付けた。



 一通りの喧嘩と準備をすませて、待ち合わせ場所に向かった。
 待ち合わせの時間は夕方だったけど、浴衣への着替えや、持って行かなきゃいけない荷物の準備――というか、短冊の置き場所がわからなくなって部屋中ひっくり返して探していたんだけど――で結構手間取ったから、僕らが待ち合わせ場所に到着したのは時間ぎりぎりになってからだった。
 待ち合わせ場所ではすでに浴衣美人ふたりが僕らを待っていた。いつも下ろされていることが多い髪を高く結い上げたり、編み込んでいるから受ける印象がいつもと違う。もちろん、浴衣姿っていうことも受ける印象が違う要因のひとつなんだろけど。
 こっちから声をかけるより早く、僕らに気付いたリエちゃんとさなえちゃんが小走りに駆け寄ってきた。
「スギくん! レオくん!」
「ふたりとも、時間ぴったりね」
「ふたりは相変わらず早いね」
「どっちかって言うと、僕らが遅いんじゃないか?」
「そういう説は――まあ、置いといて」
「置いとくな」
 レオの頭を叩いていたら、リエちゃんとさなえちゃんに笑われてしまった。
 いかんいかん。これじゃ掛け合い漫才じゃないか。
 それから、大事なことを言い忘れてることに気付いて、改めてリエちゃんと向かい合う。
「リエちゃん、浴衣良く似合ってるね」
「ほんと? ほんとにそう思う?」
「思う思う」
「良かったぁ……これね、すごくお気に入りの柄なの」
 そう言って嬉しそうに顔を輝かせ、その場で軽やかにターンする姿を可愛くないなんて言えるはずがない。
「スギくんもとっても良く似合ってるよ、浴衣」
「それはもちろん」
 胸を張って答えたら「スギくんは相変わらず自信家だね」と苦笑されてしまった。その反応は少々不本意だったので、僕は片眉を器用に上げると、
「僕が自信満々なことにはちゃんと理由があるんだよ」
「……どんな?」
「この浴衣はリエちゃんのお手製だし」
 リエちゃんの愛が籠もったものが似合わないわけないでしょ、と続けたら、途端に真っ赤になった可愛い彼女に、小さな握りこぶしでぽかぽか叩かれた。
「そういうことを人前で言わないのっ」
「別に、聞いてる人はいないと思うけどなぁ……」
 されるがままに叩かれながら、今の会話を一番聞いていそうな相棒に目をやると、向こうは向こうでふたりの世界に入っている。だからやっぱりこっちの会話なんて聞こえていないんじゃないだろうか。
 ――まあ、聞かれていても全然構わないんだけどね。



「「でか」」
 僕とレオが呆れた呟きをハモらせる隣では、リエちゃんとさなえちゃんが呆気に取られて口をぽかん、と開けていた。
 ポップンパーティ会場に到着して真っ先に目に入ったのは、ある意味、今日の主役とも言える巨大な――本当にそう呼んで良いのか判断に苦しむけど――笹だった。
「……笹で良いんだよね?」
「あー……うん…………あ、よく見ると看板立ってる。『この笹(太字で強調)に願い事を書いた短冊を吊るしてください』だってさ」
「そうか……じゃあ、あれはやっぱり笹で良いんだ……」
「でもなんでだろうね。何か腑に落ちないね」
「いやまったく」
 レオと顔をつき合わせてしみじみとした会話を交わしていると、浴衣の裾が小さく引かれた。何だろう、と思って顔を向けたら、そこにいたのは大きな瞳をきらきら輝かせたリエちゃんだった。どうやら珍しい――というか、むしろ笹としての存在意義が問われるんじゃなかろうかというほど巨大な笹に、素直に感動しているらしい。
 ――こういう素直な面を目の当たりにすると、いかに自分たちがひねくれた大人に育ったのか突きつけられている気がしないでもなく、それがちょっと寂しいかもしれない。
「スギくん、早く短冊を吊るしに行こう?」
「うん、そうだね。……じゃあここで自由行動ってことでいいかな、さなえちゃん」
「ええ、もちろんよ。リエちゃんのこと、よろしくね?」
「……あのさ、スギ、僕の意見は聞く気なし?」
 さなえちゃんの言葉に「もちろん」と頷く傍ら、レオにはぞんざいに振った片手を返事とした。意味は通じてないかもしれないけど、すごく嫌そうな顔をしたのできっと気持ちは伝わったことだろう。
 それから、半ばリエちゃんに引っ張られるようにして笹の下まで行く。
 ちら、と上を見上げれば、視界いっぱいに広がるのは笹の緑と吊るされた色とりどりの七夕飾りばかりだった。
「これはすごいなー……」
「もうたくさん吊るされてるねー」
 手近な短冊に目をやると、「今年こそ泳げますように」「コタツが買えますように」「スケボー上達」「犬じゃねぇっス」「○●△○×■◎」(判読不可能。宇宙人語か? これ)などなど……微笑ましい願い事から切実そうな願い事まで……っていうか、これ願い事になってないんじゃないか、アッシュ。
「色んな願い事があるね」
 リエちゃんも近くの短冊を覗き込んで楽しそうに笑っている。
 そこら中に見える短冊だとかの七夕飾りが、全部ここに来たひとたちの願い事かと思うと、なかなか壮観な眺めだ。
「よし。僕らも吊るそう」
「うん、そうだ、ね……」
「……リエちゃん?」
 何故か途中で言葉が尻すぼみになったリエちゃんは、急に顔を赤くして手にした短冊を握り締めていた。
 ――あー……そうか。やっぱり気付いてなかったんだな。
 自分の願い事も、人目に触れる可能性が高いってこと。
「えと……リエはもうちょっと目立たないところに飾りたいなー、って思うんだけど……」
 案の定な言葉を返すリエちゃんに、僕は辺りを見渡して首を捻った。
「さすがにそういうところはなさそうだけど……あえて言うなら、上の方?」
「上……」
 手の届く範囲だとどうしても人目に触れるだろうし。極端な話、笹のてっぺんにでも吊るせば、空を飛べる人でもない限り吊るされた短冊をあえて見ようとは思わないだろう。もちろん、そのためには登るなり飛ぶなりしないと吊るせないわけだけど。
「うえ……」
 リエちゃんは眉をきゅっと寄せて、じっと上の方を見上げている。放っておくと笹を登り出しそうな雰囲気だ。
 いくらなんでもそれは危ないので、今のうちから制止しておこうと僕が口を開きかけたその時、ぱたぱたとかわいらしい羽ばたきの音が降ってきた。
「こんにちは! ……じゃなくて、こんばんは!」
 金色の髪を二つに括ったその女の子の背には真っ白い翼。天使のポエットだ。もちろん、浴衣を着ている。
 浴衣を着た天使っていうのも結構珍しいかもしれない。……そいういえばさっき短冊に明らかに妖怪バンドのドラムのものと確信できる短冊があったけど、ということは彼らも来てるってわけで……浴衣とか甚平を着た吸血鬼に狼男に透明人間……うわ、かなり見てみたいかも。よし、あとで探そう。
 ――などと、僕がくだらないことを考えている最中、少女たちの間で会話が弾んでいた。
「ポエットちゃん、こんばんは。その籠どうしたの? 短冊がいっぱい入ってるね」
「うん、あのね、お手伝いしてるの」
「お手伝い?」
「上の方にはぜんぜん飾りがないでしょ? それだと寂しいし、上の方に短冊とか吊るしたい人のを集めて、ポエットが代わりに吊るしてるの。あ、でもユーリも手伝ってくれてるんだよ」
「へえ……あのユーリがねぇ」
 思わず感心……それも失礼か。
 あれ? ってことは、笹の周囲を見ていれば飛んでる吸血鬼――しかも浴衣か甚平を着用――にお目にかかれるわけか。しまったなー……携帯のカメラじゃ小さくしか写んないぞ……。
「じゃあ……リエのもお願いして良いかな?」
「うん、いいよ」
 おず、と差し出されたリエちゃんの短冊の一枚――握り締められていたせいでだいぶしわくちゃになっていたけど――を快く受け取って天使が上へと舞い上がる。
 ――ちょっと残念。
 そんな思いが顔に出てしまったらしい。リエちゃんに頬を抓られた。痛くはなかったんだけど。
「スギくん、リエのお願い事、見るつもりだったでしょう」
「えー? いやいや、そんなことはないよ。ただ、世の中、不可抗力ってものはあるけどね?」
「レオくんと同じことを言うんだからっ」
「だってさ、1枚だけ見ちゃだめって言われたら、余計気になるだろ?」
「うー……」
 むくれてしまったリエちゃんを宥めて、僕らも短冊を吊るし始めた。
 ノルマ7枚って……作るのも大変だったけど、いざ吊るすのも大変だ、これ。
 せめてもの救いは、吊るす場所に困らないことだな、なんてことを考えながら最後の1枚を吊るしていた僕の目の前に、ひらり、と落ちてくるものがあった。
「なんだこれ……短冊?」
 見覚えのある、やけにしわくちゃのそれを手にとって、何気なくひっくり返し――
「うわわ……ごめんなさーい」
「――あー! スギくん、見ちゃだめー!」
 ポエットが急降下して来るのと、リエちゃんに短冊を持って行かれたのがほぼ同時。
「ごめんなさい、手が滑って落としちゃって……」
「え? 平気、大丈夫だよ。はい、短冊」
 しょんぼりうなだれる天使を慰めて、リエちゃんは改めて短冊を渡した。
 ほっとした様子で短冊を受け取ったポエットは、「ありがとう!」と笑顔を見せると短冊を大事そうに胸に抱えて再び上へと羽ばたいていった。
「…………」
「…………」
 ポエットがいなくなった後は、ちょっと気まずい沈黙。
 先に口を開いたのはリエちゃんだった。
「……見た?」
「ん? 短冊のこと?」
「うん……」
「んー……すぐにリエちゃんに取られちゃったからねぇ」
「そっか」
 僕のその言葉に、リエちゃんはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
 ちなみに、別に「見てない」って言ったわけじゃないんだけどね。
 ……そんなに恥ずかしがることかな、とも思うけど。
「――ところでリエちゃん」
「なぁに?」
「明日あたり、デートしよう」
「…………」
 途端に、リエちゃんの眉間に皺が寄る。
「……スギくん」
「というか、そういうことは短冊じゃなくて直接僕にお願いして欲しいなー、って思うわけですが」
「スギくん!?」
「僕、『見てない』とは言ってないよ?」
 意地悪く笑って見せると、真っ赤になって俯いたリエちゃんに背中をぽかぽかと叩かれる。例によって、痛くはないけど。
「で? リエちゃんの返事は?」
 背中越しに振り返る。
 彼女はやっぱり俯いたままで。
 でも。
「――はい」
 そう言って、小さく頷いた。



 さらさら、さらさら、笹の葉が揺れている。
 風に吹かれて、もしくは、願い事を吊るそうとする誰かに引っ張られて。
 笹と一緒に、たくさんの願い事も揺れている。
 微笑ましかったり、切実だったり、わけわからなかったり、願い事になってなかったり。
 それから――

 『スギくんとデートできますように』

 そんな可愛い願い事も。





七夕部屋