願いごとの形
願い事を書いた短冊をひとつひとつ手近な笹に吊るしていく。
3枚目が吊るし終わったところで、肩に暖かな重みが掛かった。チョコレートの甘さと、タバコの苦みが混じった匂いが、振り返らなくても相手が誰だか教えてくれる。だから、短冊を吊るす手は止めないまま、視線だけちらりと横に滑らせて、
「レオくん、もう全部吊るし終わったの?」
「もちろん」
わたしの肩に顎を乗せた体勢のまま彼は得意気に頷き、親指で背後を指し示した。
頬に当たる髪の毛がくすぐったくて身じろぎしたら、わたしの肩の上にあるレオくんの顔が肩から落ちそうになって、彼は慌てて顔を上げた。
「……さなえちゃん、いやだった?」
「くすぐったくて」
そう答えたら、「それじゃあ仕方ないか」と悪びれもせずに笑う。わたしもそんな彼に「仕方ないわね」って思って小さく笑った。それから一度手を止めて、何気なくレオくんが指で示した背後を振り返って真っ先に目に飛び込んできたものに、思わず吹き出してしまった。
わたしのその様子に、先程の得意気な調子はどこへやら、レオくんは頬をかきながら苦笑を浮かべている。
「あー……やっぱだめかな?」
「うん。だめだと思う」
レオくんは確かに7枚の短冊を吊るし終わっていた。その言葉に嘘はなかったけれど、問題はその吊るし方。やけにたわんだ笹の先には、7枚の短冊が一括りで吊るされていた。
「吊るしちゃえば同じだと思うんだけどなー。特に見られて困るお願い書いてないし」
一枚一枚吊るすのは面倒くさいよ、なんて文句を言うレオくんに、わたしはひどくたわんだ笹を指差して、
「でも、あれだと笹がかわいそうだわ」
その言葉に考え込む様相を見せて、「確かに」と彼は頷いた。
「じゃあ、せめてもう少し丈夫そうなところで吊るそう」
そう言って、ひとまとめにした短冊を外しに向かう。どうあっても一枚ずつ吊るす気がないらしいレオくんに、わたしはもう一度、こっそりと小さく笑った。
わたしが7枚の短冊をすべて吊るし終わる頃には、7枚ひとまとめの短冊を吊るし終わったレオくんが隣にやって来ていた。どこへ吊るしたの、と視線で問えば、にっ、と笑った彼が指差したのは、さっきのものより太い笹の枝に吊るされた短冊。普通に飾られる笹の桿並に太い枝は、短冊7枚をひとまとめにしたくらいの重みでは、まったくたわむ様子もなかった。
「さなえちゃんも吊るし終わった?」
「ええ」
ほら、と吊るし終わった短冊たちを指し示すと、何だかそわそわ落ち着かない様子で短冊とわたしを見比べている。
「……レオくん、別に見てもいいのよ?」
「え、いいの?」
「見られて困ることは書いてないもの」
くすくす笑いながら言うと、レオくんはがっくりと肩を落として「さいですか」と小さく呟いた。
「なぁんだ……リエちゃんみたいな反応を期待してたんだけどな」
「残念でした」
そう言えばリエちゃんたちもそろそろ短冊を吊るし終わった頃かな、と思い、親友の様子に思いを馳せる。短冊を吊るしたら、誰の目にも触れる可能性が高いってことにひょっとしたら気付いていないのかしら、って見えたんだけれど。
そんなことを考えていたら、再び頬をくすぐる感触。
いつの間にかわたしの後ろに回ったレオくんが、わたしを背後から抱え込む形で手近な短冊を覗き込んで、落胆気味に「あー、本当に普通のお願い事だー」なんて言っている。もちろん、レオくんの方がわたしよりずっと背が高いのだから、わたしの肩に頭を乗せて短冊を見る、ということは、わざわざ腰を屈めて、短冊をひっぱっているということ。
何だか、大きな猫に甘えられているみたいに感じて、けれど彼はやっぱり猫じゃないから。
「レオくん、くすぐったいのですけれど?」
ことさらそっけない調子で言ってみても、彼は少しも気にした様子がなくて。
「もう少しくらい、いいでしょ?」
そのまま別の短冊に手を伸ばす。
「――レオくんて甘えたがりよね」
「さなえちゃんがなかなか甘えてくれないからね」
「どういう理屈かしら……」
呆れた調子に聞こえるように、ほう、とため息ひとつ。
それから体重をほんの少し後ろに傾ける。
甘えたくないわけじゃないのだけれど、遠慮しているわけじゃないのだけれど、どうしても上手く甘えることができなくて。
これがわたしなりの甘え方だって、きっと彼は気付いているに違いない。
「レオくんは甘やかし上手だわ」
「そりゃあ、甘えて欲しいからね」
ふてぶてしく頷くレオくんにくすくす笑っていると、何かを見つけたらしい彼の小さな呟きが耳をくすぐった。
「もう捨てたと思ったのに」
まじまじ見つめる彼の手には願い事の書かれていないハート型の短冊。みんなで集まって短冊作りをした時に、スギくんがレオくんへの嫌がらせで作ったものだったけれど、綺麗に切り取られたハート型がもったいなくてそのまま拝借していた。
「さなえちゃんには必要ないと思うけどなぁ」
その時、スギくんが言っていたハート型の短冊の意味は『性格が良くなりますように』『心優しい人間になれますように』だったけれど、
「あら、別にハート型の意味はそれだけに限らなくてもいいと思うけれど?」
「じゃあ、どんな意味?」
「内緒」
笑いを堪えて済まして言うと、レオくんは一瞬面食らったような表情を見せた。
「……見られて困ることは書いてないんでしょ?」
「ええ、だから『書いていない』でしょう?」
「………………仰るとおりです」
そう言って、レオくんは肩を落としていっそうわたしに寄りかかってきた。
それから、二人同時に吹き出して、しばらくの間二人で笑い合っていた。
――もう少しだけでも、上手に甘えられますように。
願いごとを言葉ではなく、形に代えて。