Deuilさんちのクリスマス
薄闇に包まれ始めた城の中、明かりが灯されることなく徐々に闇に沈み行く廊下に響き渡る、ゆっくりとしたリズムの靴音。
靴音は、城の主である吸血鬼、ユーリのものだ。
地下貯蔵庫から出てきたばかりのユーリは片手に抱えたものに視線だけ向け、らしくない、とひとりごちた。
今日は聖なる夜、クリスマスだった。
別段、ユーリ自身はその日に何ら感慨を持っているわけではない。言われて始めて「ああ、そんな時期か」と呟いたくらいだ。そんな彼に、ここ数日城で缶詰状態になっていた他のバンドメンバーが、せっかくだから、とクリスマスパーティの許可を求めてきたので、ユーリはただ「好きにすればいい」とだけ答えた。そっけない、突き放した言葉に聞こえるだろうが、これはユーリなりの承諾の仕方だとわかるくらいには気心の知れたメンバー二人は即座にパーティの準備を始めていた。
パーティといっても、他から誰か呼ぶわけでもなく、ユーリの他にはドラム担当の狼男アッシュと、ベース担当の透明人間スマイルの二人、全員で三名しか居ない。大掛かりなものでもないので、準備もそろそろ一段落ついている頃だろうと目星を付けたユーリは、パーティ会場となる食堂へ向かっていた。
ユーリは長い廊下を渡りながら、何とはなしにこれまでの日常を振り返っていた。
毎日、と言いたくなるくらい騒々しい日々が続く。静かに眠りについていた日々が夢か幻のようだ。いや、眠りにつく前ですら、こんな騒がしい日々は記憶にない。
昔の自分は、もっと静寂を好んでいたように思うのだが――もちろん、今でも静寂を好んでいることに変わりはないのだが。
――まあ、悪くはない。
そんなことを思った、その時だった。
食堂のある階まで来た時聞こえてきた音楽に、ユーリの眉間に皺が刻まれた。
更に、食堂に近付くにつれ、まだ「困惑気味」で済まされる範囲内だった眉間の皺がますます深くなり、余裕をもっていた歩調が徐々に早まってきた。
最終的には駆け込む様相で食堂に飛び込んだユーリは、視界に飛び込んできた光景にほんの一瞬とはいえ絶句し――ユーリに気が付いて振り返ったアッシュとスマイルの二人と目が合った瞬間、きっぱりはっきりと言い切った。
「貴様らは馬鹿だ」
「――って、いきなりなに断言してるんすか! ひどいっすよ、ユーリ!」
「しかも「貴様『ら』」ってことは複数形。何でボクまで入ってるのさー」
「……スマイル……あんたまでどういう意味っすか……」
「いやー、別にアッシュを馬鹿にしてるわけじゃないよ? ただボクは馬鹿呼ばわりされる筋合いはないってだけで」
「それ……遠まわしどころでなく、だけど俺は馬鹿呼ばわりされも仕方ない馬鹿だって言ってるっすね、スマイル」
「……安心しろ。言い争う必要はない。二人そろって間違いなく馬鹿だ」
再びユーリから断定の言葉が入り、ユーリそっちのけで舌戦を開始しそうになっていたアッシュとスマイルが不服そうにユーリへ顔を向け――青筋が浮かんでいそうな城の主の様子に二人の顔が一瞬で引き攣った。
「あー……ユーリ?」
「そうだな……まず何から追求すべきかと思ったが、考えていても仕方ない。順に済ませよう」
一度ため息をついた後、ユーリの冷ややかな視線が、まずスマイルに向けられた。
「……スマイル」
「は……はーい?」
「今すぐこの部屋中に飾ったギャンブラー関連のポスターやら写真やらプラモデルやらを撤去しろ」
「えー。ここまで飾るの大変だったんだよ?」
「私が知ったことか。そもそもこれのどこがクリスマスパーティの準備だ」
「いやー、僕ら三人だけでクリスマスもないだろーって思って。だったらクリスマスにこだわんないで好きなパーティした方がいいなー、と」
「周囲をギャンブラーに囲まれたパーティの方がありえんわ。あと、ギャンブラーの主題歌を延々流すな。止めろ」
「あー惜しい。ギャンブラーじゃなくてこれはZの……」
「燃やされたいか。主にこの部屋のギャンブラー商品」
「今すぐ片します」
なんだい横暴、と文句を言いながらスマイルが部屋中に飾り付けられたものの数々を片付け始めたのを尻目に、ユーリは残るもう一人に向き合った。
当のアッシュはと言えば、まだ何も言われていないものの、すでに耳がぺたりと垂れている――普段から垂れ気味だというのに、更に垂れ下がってしまったことがわかるくらいらに、それはものの見事にペタンと。
「……アッシュ。これは何だ?」
そう言ったユーリの手の平が向けられた先にあるのは、長いテーブルの上に所狭しと並べられた皿の数々だった。
「え。夕食を兼ねたクリスマスパーティ用の料理、っすかねぇ?」
アッシュはすでに相手の言いたいことがわかっていたらしく、微妙に視線をそらしつつ、それでも空々しく答えた。
「ほう……ケーキ以外の料理がカレーのみ、でか…………?」
そう、並べられた皿の中身は、中央のクリスマスケーキを除いて、すべてカレーライスだったのだ。ポーク、チキン、ビーフ、根菜、インド風、欧州風、和風……等々、部屋に入る前から食欲をそそる香辛料の匂いが漂ってくるくらい、大量のカレーが用意されている。
「い、いやそれは、その……ユーリだって何を食べたいか尋ねた時「何でもいい」って言ったじゃないっすか! それでスマイルに訊いたら「カレーがいい」って……」
「限度があるに決まってるだろうが! どこまで阿呆だこの馬鹿犬!」
『犬』と言う言葉に反応して咄嗟に口を開きかけたアッシュを遮るように、「だいたい!」とユーリは続けた。
「三人しか居ないというのに何だこの量は! カレーだけでも多いというのに、ケーキまで……どこのウェディングケーキだ、甘味大食い王でも決める気か!」
「……ユーリ、けっこうテレビ見てたんすね……」
「ちなみにカレーは冷凍保存も駆使すればかなり保つから、正月三が日までいけるんじゃないかなー? ヒッヒッヒ……」
「もう片付けは終わったのか? ならば残っている分はすべて燃やしていいな?」
「……スミマセン、マダオワッテナイデス……」
茶々を入れるスマイルを一蹴した後、ユーリは大きく息を吐き出すと、手にしていたものを勢いよくテーブルの上に置いた。
どん、と響いた大きな音や、ユーリらしからぬ乱暴な仕草はもちろんのこと、それ以上のユーリが取り出した品物に驚いたアッシュは目を瞠った。
古めかしいデザインのラベルが貼られ、綺麗に磨かれた年季の入った一本のビン――確かかなり希少な赤ワインだと、他ならぬユーリが言っていた一品だった。
それをわざわざ取ってきた。
――実は、ひょっとしなくても、とても楽しみにしてくれていたのだろうか。
「ユー……」
「――オードブル」
「…………は?」
「食材を使い切ったわけではないだろう。このワインに似合うオードブルを作れ」
「は、はい! すぐ作るっす!」
慌てて調理場へ駆け込もうとするアッシュの背後から、「それから」と声が掛かった。
「グラスも」
「ああ、ワイングラスっすね」
「三つだ」
アッシュはその言葉に思わず足を止めて、声の主を振り返った。スマイルも片付ける手を止めて、椅子に腰掛けた吸血鬼に目を向けた。
そこにあったのは不機嫌そのものの顔で、煩そうに睨みつけられ、すぐに各々の作業を再開することになったけれど、二人の肩は小刻みに揺れていた。
揺れるだけで、何かするわけでも言うわけでもなく、とにかく目の前の仕事をひたすらこなす。
終わらなければパーティはお預けだろう。
それは嫌だと、奇しくも二人同時に思っていた。
もちろん、ユーリは笑いを堪える二人の様子に気付いていた。
――まったく、らしくない。
何が、と聞かれれば、何から何まで。
けれど。
こんな油断のできない騒々しさも、満更ではないから。
――悪くは、ない。
もう一度、その言葉を呟いた。