運命の赤いリボン
「うわぁ……っ!」
――という、きらきら輝くオプションがついていそうな感嘆の声はリエちゃんのもの。
「……うわあ」
――という、棒読み調子の呆れた声はぼくのもの。
口が開いた紙袋を逆さにして無造作にばっさばっさと振るうと溢れ出てきた、色とりどりどころか柄もとりどり、種類もとりどりの大量のリボン。
……いやまあ、もともと入っていた袋が小さめのものだから、冷静に考えてみればごっそり落ちてきたリボンを掻き集めたって両手で掴めるぐらいのものではあったけど。それでも十本二十本じゃきかない量のリボン(しかも全部違う色、柄、種類)が出てくれば、さすがのぼくだって呆然としてしまう――ちなみに決して良い意味ではなく。
「すごいすごい! スギくん、本当に全部リエがもらっていいの?」
「あー、うん。思う存分もらっていきなよっていうかむしろもらっていってください。心からお願いします」
嬉しそうなリエちゃんにぼくは快く頷きを返す、つもりが、うっかり本音も零れ落ちてしまった。
テーブルの上にばら撒かれ小山を作るリボンは、実はというかやはりというか、本来の所有者はぼくの相棒のレオだったりする。ああ、別にレオが女装趣味だとかリボン集めを趣味にしている、と言うわけじゃない。そりゃあ、傍から見ている分には楽しそうだけど、いくらぼくでもそんな相棒は本気で御免だし。
では、どうしてレオがこんな大量のリボンを所持していたのか。
それはレオの好物――むしろ生き様だな、アレは――であるチョコレートが原因だった。
チョコレートなら、駄菓子屋の5円チョコから有名ブランドの「おいおいホントにそれはチョコの値段か」というような金額のチョコまで、レオはメーカーも値段もなく幅広く貪欲に求める奴だ。しかし例え原材料が同じだろうと大きさや重さが同じだろうと、極端な話、同じ味にしか思えなかろうと、5円チョコとブランドチョコの間には値段以外にも実に大きな隔たりがある。
それはラッピングだ。
もちろん、ブランド品じゃなくても、ちょっとこ洒落た箱入りチョコや、プレゼント用に包んでもらったチョコにだってリボンが付けられることは多い。しかしやはり値段が破格なものだと、たかだかチョコ――と、レオの前で言うとあいつは本気でキレるが――をラッピングするリボンと言えども侮れない。店名の刺繍入りやら、ラメ入りやら、金糸銀糸で縁取られていたり、レース付きだったり、むしろレースのリボンだったり、配色やら材質やら随所にこだわりが感じられるは……エトセトラエトセトラ。
――って、リボン談義をしたいわけではなくて。
つまり、テーブルの上でこんもりとした山を作っている大量のリボンは、買ったチョコ記念だかなんだか知らないが、レオが律儀に取って置いていた、チョコレートのラッピングに使われていたリボンたちなのだ。
記念品のはずだったリボンだけどさすがに邪魔になってきたらしく、「記念のリボンの保管場所とチョコの保管場所ならぼくはチョコを取る!」と高らかに宣言したどこぞのチョコジャンキーから、ただ捨てるくらいなら役に立ててもらえそうな人へ、という珍しく建設的な意見と共にこの大量のリボンたちがリエちゃんに託された、という訳だ。
ちなみに、この量の記念リボンを集めるのに掛かった日数は約一年。しかも、リボンはあくまでも記念に残してあったブランド品のラッピングに使用されていたものだけであって、実際の所ここ一年ほどでレオに消費されているチョコの量を考えると、リボンの数など所詮は氷山の一角と言う……。
……………………。
こんもりとしたリボンの小山を前に改めて実感する相棒のあまりのアレっぷりにぼくが言葉を失っていた間、リエちゃんは普通ではそうそう入手できないだろう色んな種類のリボンをひとつひとつ手に取り、実に楽しそうに品定めをしていた。
……うん、そうだな。
リエちゃんに喜んでもらえるなら、レオの多少の……多大なアレっぷりにだって目をつぶってやろう。むしろ喜んでもらえるなら、レオがどんな食生活を送ろうと万々歳じゃないか。
…………多分。
――などと葛藤に苦しみつつも何とか気持ちに折り合いをつけた所で視線を感じ、ぼくは気付けば凝視してしまっていたリボンの小山から顔を上げた。そこには、手を止め不安そうな面持ちでぼくを見つめるリエちゃんがいた。
「……リエちゃん? どうかした?」
何か問題でもあったのだろうかと――実は見えない部分でリボンがチョコまみれでした、とか……うわ、洒落にならない――声を掛けると、途端にリエちゃんはほっとしたように表情を緩ませ、
「ううん。よかったぁ。スギくん、すごく難しい顔をしてたから、どうしたのかと思っちゃった」
言われて、こめかみの辺りがかなり疲れていることに気が付いた。どうやら無意識の内に、かなりひどいしかめっ面をしていたらしい。
「あー、ごめん。リエちゃんやリボンとは関係ない……ことはないかもしれないけど、とりあえず関係ない、実はすぐ身近に迫っていたカカオによる人類への侵食にどう対抗すれば良いのかと言う命題に悩んでいてね」
「…………うん?」
頷いたもののやっぱりわけがわからなかったんだろう、目をぱちくりと瞬かせ首を傾げるリエちゃんに「むしろわからなくていいから」と、適当に数本つまんだリボンをその手に乗せた。
そのまま話題をずらすべく、気になっていたことを訊ねる。
「さっきからリボンを仕分けてるみたいだけど、何に使うか決めてるの?」
「え? あ、うん。今ぱっと見て思いついたものでわけてるんだけど」
そう言って、リエちゃんは楽しそうに説明してくれた。
これは袖やスカートの裾に、これは胸元のアクセントに、これは髪留めとして。
ぼくにはそういったジャンル分けされた違いが、今ひとつわからなかったけど、服飾に関しては専門のリエちゃんが言うんだからそうなんだろう。でも……
「髪留めって……結構変わったデザインもあるよ。合う服、あるの?」
「ないよ。だからこれから作るの。それだけじゃなくてね、素敵なリボンがたくさんあるから、色んなデザイン思いついちゃった」
しばらく徹夜の日が続きそう、そう言いながらも、満面の笑みが浮かんだ顔は楽しくてしょうがないと言った様子だった。それは、大好きなことに全力で打ち込んでいる人が出せる表情だ。
ジャンルは違えどその想いはぼくにも覚えがあることだから、きっと無理をしてしまうんだろうとわかっていても、しょうがないなぁと苦笑を浮かべることしかできない。それでも一応、釘は刺すけど。
「ちゃーんと睡眠はとらなきゃダメだよ。体調管理は万全にね?」
「……だ、大丈夫だもん」
「こら、そこ。どもらない」
「大丈夫ですっ」
「はい、よろしい」
はっきりくっきり明言されて、ぼくが鷹揚に頷いてみせると、リエちゃんに学校の先生みたい、と笑われてしまった。
それからしばらくは、ぼくも大人しくリエちゃんが仕分けしている所を見守っていた。……ちなみに、リエちゃんからはじっと見られているとやりにくいって不評だった。
――それにしても。
「……なんでこんなにリボン作ってるんだろうなぁ……」
あ、思うだけのつもりが、うっかり口に出してしまった。もちろん、ぼくの前後の脈絡がない言葉に、リエちゃんも弾かれたように顔を上げる。
「スギくん、どうしたの?」
そうなれば当然、こういう質問も来るわけで、
「んー……いや、ね。何で色が違うだけじゃなくて、柄だの材質だのまで違うもので作ってるのかなぁ、と」
「え。だって、全然違うもの!」
「……即答だね」
「本当だよ? たかだかリボンだなんて、あなどっちゃ駄目なんだから。リボンのラッピングひとつで、すっごく雰囲気変わるんだよ!」
「そ、そういうもん……?」
「そういうもん、だよ!」
力強く断言されて、半ば勢いに押される形で、そういうものかと納得した……ようなしてないような。
そりゃまあ、特に気合の入ったプレゼントなんかはリボンでラッピング、とは思うけれども。別に色や材質にこだわることは……どうだろう?
などと思いながら、何気なく見渡したリボンの小山。今や、リエちゃんの仕分けによって、当初の半分くらいにまで小さくなっている。いやまあ、それでも結構な量であることに変わりはないんだけどさ。
その小さくなった小山の中で、鮮やかな赤い色一色のリボンが目に留まった。
指でつまみ上げた感触は天鵞絨だろうか。
ぼくは、しばらく真っ赤なリボンをじぃっと見つめ――
「……リエちゃん」
「はい?」
「ちょっと、手、出してくれる?」
ぼくは、にっこり、爽やかな笑みを浮かべた――つもりだったんだけど、リエちゃんの様子に警戒と言うか怯えと言うか……そんなものが混じって見える気がするのは何故だろう……?
恐る恐る、といった風情だったけれども、リボンを置いたリエちゃんは手の平を上に向け、両手を差し出してくれた。
何でそんなに怖がられてるんだ……? やっぱり(根拠も証拠もないけど)レオのせいか? おのれ、覚えてろ、地球外生命体レベルチョコジャンキー。
……あぁ、いや、今はその辺の責任追及については後回しで良い。どうせ、今レオ居ないし。
「両手は必要ないよ。左手だけ、ちょっと借りるね」
「……うん……?」
明るく言ってみるけれど、どうしても不安そうにしてしまうリエちゃんに苦笑しつつ左手を取る。
リボンを巻き付け、結び付け――やっぱり新聞を縛る紐とか結ぶのとはわけが違うなぁ、などと言う感想を抱きつつ、かなり上手くできたんじゃないだろうかと思える蝶々結び。
真っ赤な蝶々がリエちゃんの薬指で揺れていた。
その瞬間に、なるほどそういうものか、とようやく納得できた。全部が全部そういうものだと納得したわけじゃないけど、少なくとも「このリボンじゃないと」というこだわりの一端については著しく納得した。
なるほど、確かにこれを飾るならこれくらいのリボンじゃないと。
しみじみと感じ入っていたら、赤い蝶々がひらりと逃げていく。見れば、手を引き戻したリエちゃんが頬をほんのり赤く染めていた。
「えっと、スギ、くん?」
「ん? どうしたの、リエちゃん?」
「あの……これは、どういう意味、かな……?」
躊躇いがちな質問に、ぼくはもう一度にっこりと笑い、
「ラッピング」
有無もこれ以上の質問も寄せ付けない断言に、リエちゃんは一瞬だけ呆けた様子を見せたけど、すぐにちょっとむっとした表情になり――顔は赤いままだったけれども―― 一転して、ぼくが時折やるような、にやり、とした笑みを浮かべた。とは言ってもリエちゃんの『にやり』だから、あんまり『にやり』に見えないのは仕方ないだろう。あくまで普段のリエちゃんと比べての当社比、ってやつだ。
それはともかく。
「リエちゃん?」
普段の反応と違う様子を見せるリエちゃんに、どうしたのかと問い掛ける。その問い掛けに対する答えは、目の前に突きつけられた赤い蝶々の揺れる左手だった。
「では、受け取りの判子をお願いします」
――はい?
今度はぼくが呆気に取られる番だった。
うわー、まずいなー、すごい間の抜けた表情をしている気がするんだけど、自分で治せそうにない……。
半ば呆然としたままリエちゃんを見返すと、してやったり、というような笑顔があった。
「うわぁ……」
ようやく出てきた第一声は言葉にならず。
うん、まさかそう来るとは思わなかった。そうだね、確かにラッピングってプレゼントにするものだけどね。
「その手の行動って、ぼくの専売特許だと思うんだ……」
「リエだって、いつまでもしてやられっぱなしじゃありませんよー、だ」
少しはリエの気持ちがわかった? と得意気に胸を張るリエちゃんに、ぼくは「そうだねぇ」と答えながら、差し出された左手をもう一度手に取った。
確かにしてやられたと思ったけど、リエちゃんはまだまだ詰めが甘いよ?
自然と口許に浮かぶ、ぼくのにやりとした笑みに気付いたんだろう。
ぎくりとしたリエちゃんが手を引こうとするのを引き留め――
――揺れる蝶々に唇を寄せた。
「きゃあああ!?」
途端に上がった可愛い悲鳴を聞き流し、ぼくはいかにも心外だという表情を作って見せる。
「受け取りの判子の代わりだよ?」
何せ判子もサインできるものもないからね、と嘯けば、言質を取られているリエちゃんに反論の術はなく、可哀相なくらい真っ赤になったまま閉口してしまった。
恨めしそうに睨まれるけど、真っ赤な顔で、涙目の上目遣いじゃ可愛いばかりなんだけどね。ある意味、ぼくの理性が試されてる?
そんなことを考えてる間も、実はずっとリエちゃんの手が引き戻されようとしているのを引き留めていた。
ちっとも手を放す気のないぼくに焦れたのか、ようやく失語状態から立ち直ったリエちゃんは、
「スギくんっ、判子したからもういいでしょっ」
……うん、微妙に文章おかしいよ、リエちゃん……。
気を抜くと緩みそうな口許を引き締め、ぼくはせいぜい真面目な顔を作ると、とんでもない、と首を振った。
だって、放すわけがないだろう?
「――受け取ったからには、ぼくのものだからね」
赤い蝶々の揺れる、ラッピングされた白い指に口付けた。