小さな音楽会


 チャイムが鳴る音に、ぼくは顔を上げた。調整がてらギターを軽く爪弾いていた手を止めて、ソファから立ち上がる。
「あー…………と」
 すぐに玄関に向かおうとしたところで手にしたままのギターに目を落とす。いくらギターが運搬のしやすい楽器とは言え、両手で抱えることだってあるサイズを持ったまま移動、なんてのは邪魔で仕方ない。特に急ぎたい時には致命的なほどに邪魔。もっとも、だからと言って適当に放り投げる、と言うのは論外だ。何せ人間の相棒と違って楽器の相棒たちはみんな繊細なわけだし。放り投げた衝撃で万が一にもひび割れたり、弦が緩んだり、とにかくどこかしらが壊れでもしたら大変である。しかし今のぼくにとっては、ギターを片す時間すら惜しいというのが正直な所だった。
 ……まあ、こんな風に悩んでいる暇があるなら、さっさとギターを片付けて玄関まで全力疾走しろ、って話だけど。
「――ああもう、だから止まってる場合じゃないって」
 気持ちの切り替えと自分自身に対する叱咤を兼ねて、あえて独り言を口にする。
 ギターを持ったままと言うことに躊躇するなら、さっさと置いてしまえばいい。急がば回れとも言うし、心を決める。
 よし、まずしなければいけないのはギターを置くこと、と行動順位を確定させる。
 決まってしまえば行動は早い。ぼくは、自身にとってなくてはならないものに対する敬意を示す程度には丁重に、しかし今この時において、その行動が決して優先順位の高いものではないことが明確な程度には乱雑に、調整を終えたばかりのギターをソファに立てかけた。
 それから、「たぶん倒れたりしないだろう」という予想だけで、置かれたギターの状態を横目で確認することすらなく玄関まで全力疾走――したかったけど、そんなことをしようものなら、ブレーキが利かず壁とかドアとか棚の角とかに衝突するのは間違いないので、実際には軽い小走り。いくらなんでも全力疾走できるほど広い部屋に住んでいる覚えはない。
 こんなにも急ぐ理由は至極明瞭。ぼくには訪問者に心当たりがあったのだ。
 もちろん、だからといってそれが当たっているとは限らない。ピンポンダッシュの可能性もあるし、セールス関連の訪問者の可能性だって捨てきれない。
 普通ならドアスコープで確認するか、開けるにしてもチェーンを掛けたままとかにするべきだ。
 これが、ドアを開けようとしているのがぼくではなく、真っ先に思い浮かぶ顔を筆頭とした女の子たちや子どもたちならば、ぼくだってしたり顔でそう説教をするだろう。
 だけど、この時のぼくは、訪問者が心当たりとは違っている可能性を理解していながら、心当たりが外れる可能性を微塵も考えていなかった。
 ドアノブに手をかけ、ドアを思い切り押し開く。そしてドアの向こうの相手の姿を確認する前に、ぼくは口も開いていた。
「いらっしゃい、リエちゃん!」
 ――言ってから、はた、と気付いた。
 今更だけど……一応、これでもし違っていたら、相手に落胆と侮蔑の視線を投げつけつつさも忌々しげに舌打ちする(つまり全身全霊を掛けて悪いのは相手だと主張する)としよう、うんそうしよう。そんなことを胸の内で固く誓う。
 しかし幸いにも、ドアの向こうに居たのは間違いなく心当たりとして脳裏に思い浮かべていた相手の姿――リエちゃん――だった。
 勢いよく開いたドアに驚いたのか、それともドアが開ききる前から声を掛けられたことに驚いたのか、あるいはその両方か。
 リエちゃんは、大きな目がそれこそ零れ落ちてしまうんじゃないかってくらいに目を瞠り、肩を竦ませて立ち尽くしていた。ただし怯えてるわけではないようで、単に現状についていけてないのだろう、呆然とした面持ちで、きょとん、とこちらを見つめている。
「…………」
「…………」
 ……互いに無言。
 何と言うか、流石にちょっと気まずい。
 ぼくは軽く咳払いすると、とりあえずさっきの行動云々はなかったことにして、可愛らしい訪問者を改めて笑顔で出迎えた。
「こんにちは、リエちゃん。いらっしゃい、歓迎するよ」
 ぼくの改めての挨拶を受けて、リエちゃんも我に返ったようだった。強張っていた肩が、すとん、と落ちる。す、と姿勢を正したリエちゃんは、それこそ文字通りキラキラ輝くような笑顔を見せて、
「こんにちは、スギくん。お邪魔します」
 そうして、ぺこり、と丁寧なお辞儀をひとつ。
「あー、いえいえ。自分の家だと思って遠慮なくどーぞ」
 釣られて頭を下げながら、ぼくは緩む口許をはっきりと自覚していた。



 リエちゃんを部屋の中にエスコートし、事前に物入れから引っ張り出して用意済みだった、フローリングの上に置いた大きなクッションに各々腰掛ける。このクッション、どのくらい大きいかと言うと、ちょっと身体を丸めて寝転べば充分布団代わりになるくらい大きい。ちなみに種類はビーズクッション。普通の綿のクッションと違って、触感だとか沈んでいく感触が中々に楽しい。
 この楽しさは種族を超えて共通のようで、リエちゃんに抱きかかえられていた二匹の緑色の生き物、ケロさんとケロよんは、嬉々としてビーズクッションに飛び込んでいた。溺れているのか泳いでいるのか不明なリアクションを見せつつビーズクッションに沈み込む二匹の様子を、ぼくらは苦笑を交わして見守りながら、
「それにしても悪かったね。ケロさんとケロよんを送ってもらっちゃって」
「ううん。さなえちゃんたちのデートの邪魔をしちゃうわけにはいかないもの」
 ぼくの言葉にリエちゃんは、ふふふ、と楽しそうに笑みを零した。今頃デート真っ最中のはずの親友のことを想ってるんだろう。
 ――彼女が家に来たのは、つまりはそういう理由だった。
 前述の通り、今日はレオとさなえちゃんのデート日である。……何でぼくがそんなことを逐一知っているのかと言えば、レオに聞いたから――もとい、ここ数日間、さんざんレオの口から聞かされていたからだ。その時の話によると、今日もさなえちゃんは雑貨屋さんのバイトがあるので、二人のデートはさなえちゃんのバイトが終わってから、と言うことになっていた。
 しかし、何事もそう簡単には予定通りに進まない。
 今日――つまりデート当日になってみれば、前夜に準備済みだった荷物を手にしたレオが衝動的に家を飛び出したのだ。「どこに行くのさ」と半分以上呆れて問いかけるぼくに、レオは「さなえちゃんのお迎え」と高らかに宣言して、さなえちゃんのバイトが終わる前から雑貨屋さんまで出向いていた。たぶん(と言うか、ぼくは確信しているが)予定していた時間まで待ちきれなくなったんだろう。
 その時にレオが持って行ったカバンに、ケロさん、ケロよん、の愛称で親しまれているペットと言うべきか同居人扱いすべきか微妙なカエルたちが忍び込んでいたらしい。普通なら「出かける準備をする時に気付けよ」と言いたい所だが、ある意味、前日の準備が完璧だったことが仇となり、出かける……と言うかむしろ飛び出す間際にカバンの中身を確認しなかったレオは、雑貨屋さんについてからケロさんとケロよんに気付いたんだそうだ。まあ、あれだ。二匹の存在に気付いたのが、デート真っ最中ではなかったことは不幸中の幸いじゃないだろうか。
 ビーズクッションに埋もれつつも元気に飛び跳ねる二匹を見ていると雑貨屋さんに向かう途中で気付きそうな気もするけど、それについては間の悪いことに、レオが移動中の時は二匹ともカバンの中ですっかり熟睡していたらしい。雑貨屋さんに着いてカバンがいったん床に置かれた時、その衝撃でケロさんとケロよんが起床。そして二匹がカバンの中で活発に動き始めたことにより、ことここに至ってレオもようやくカバンに潜んでいた厄介者に気付いたそうで。
 デートにコブは必要ない――『コブ』の使用法ちょっと間違えてる気がする――から、ぼくに引取りに来させようと、レオが携帯電話を握り締めていた矢先、ちょうど雑貨屋さんに来ていたリエちゃんが二匹の運搬を快諾してくれて現在に至る、と。
「んー、でもリエちゃんだって買い物の途中だったんじゃないの?」
「リエ、今日は買い物じゃなくて受け取りに行ってただけだから。もともとそんなに長居するつもりもなかったし、大丈夫だよ」
「そうなの?」
「うん。それに、レオくんが来たのに、いつまでもさなえちゃんを独り占めにしてたら悪いでしょ?」
「あー……まあ、うん。あはははは……」
 くすり、悪戯っぽく笑う女の子の姿に、リエちゃんも言うようになったなぁ……としみじみ感慨にふけってしまう。レオなんかは「すっかりスギに毒されて」とか言いやがるけど、ぼくが元凶だとするには、リエちゃんに勝てる気がまったくしなくなりそうなこの予感は何故だろう……? あれか。これが所謂、青は藍より出でて藍より青し、と言うやつか。何と言うか、実に言い得て妙。さすが、古典は侮れないな……!
「……スギくん?」
「ん? あぁ、なんでもないよ。ちょっと古典てすごいなって思ってね?」
「こてん?」
 リエちゃんにとっては脈絡なく飛び出した単語の意味をとっさに捉えそびれたのか、どこか舌足らずな口調で、こてん、と繰り返す。どうやら「こてん」という単語を上手く変換できないみたいだった。
「古典と言うよりむしろ故事とかことわざだけど……いや、それはもういいんだ。気にしないで。それより受け取りに行っていた荷物ってそれ?」
 このまま古典の話題を続けると、どんなことわざを思い出して、どういう過程で思い出すことになったのかまで話してしまいそうな気がしたので、話題を無理矢理方向転換する。
 無理矢理と言っても、方向転換させた先の話題はさっきから気になっていたことでもあった。
 リエちゃんの傍らに置かれている、大きな紙袋。さなえちゃんがバイトをしている雑貨屋さんのロゴが入った紙袋は、小さな子どもなら中に入ってしまいそうなくらいに大きい。
 リエちゃんを部屋の中に通す時にホテルの運搬人よろしく代わりにその紙袋を持ったけど、袋の中を覗くような真似はしてないから中身についてはわからないままだった。わかっているのは、それなりの重さはあったってこと。それから、がちゃがちゃ音がしてたので、複数の品物ってこと。
「ずいぶん大きいけど、何を買ったの?」
「買ったわけじゃなくて、借りたの。本当はそういうことはしてないそうなんだけど、元々が展示用の物だから、って特別に」
「展示用?」
「うん。スギくんも見覚えあるんじゃないかな」
 リエちゃんがそう言って袋から取り出したものは、なるほど、確かに見覚えのあるものだった。
 じゃーん。効果音を口ずさみながら、リエちゃんは取り出したものをそっと床の上に並べて置いていく。
 それは端的に言うと、楽器、だった。ただし前置詞として「玩具の」という単語が入る方の。本物よりずっと小さいグランドピアノ、ギター、ヴァイオリン、トランペット。
 ――ああ、そうだ。確かにこれって、雑貨屋さんで見本品として展示されていたやつだ。特にピアノやギターといった弾きやすい楽器はそれらを目に留めた人たちによって、鍵盤を押したり弦を爪弾く姿が日常茶飯事になっていた光景も思い出す。そう言えば、雑貨屋さんを訪れた大抵の人――中でも小さい子どもたち――によって、大作曲家(風)の演奏会がしょっちゅう行われていたっけな。
 玩具の楽器たちは間近でよく見ると、ある意味荒波を乗り越えていくが如き日々を表すように、細かな傷はたくさん付いているし、色もだいぶ褪せてしまっていた。
 それにしても何でまた、わざわざ玩具の楽器を? ギターならリエちゃんだって(ぼくとしては少々不本意な名前の)チョコちゃんと名付けたギターがあるのに。
 ぼくの疑問はそのまま顔に出ていたようだ。もともと秘密にするほどのものでもなかったこともあるんだろう。リエちゃんは紙袋からカスタネット――こちらは普通の大きさだった――を取り出しながら、
「リエ、前に話したでしょ? 文化祭でお店を出すんだけど」
「あぁ、言ってたね。洋服屋さん」
 そうそう。それで、たくさん洋服を作らないと、って話になって、しばらく会えない日が続いてたっけ。ぼくもレオも仕事でそれなりに忙しかったけど、それ以上にリエちゃんは忙しそうだったことを、会えない間の寂寥感と一緒に、よく覚えてる。
「うん。それでね、せっかくの文化祭だから単に洋服屋さんって言うだけじゃなくて、芸術の秋――それも音楽の秋をテーマにしよう、ってことになったの。それで、洋服のデザインだけじゃなくて、お店の飾りつけもそうしようってことになって」
「それでこんなにたくさん」
「うん。さなえちゃんが店長さんに口を利いてくれて。おかげでイメージ通りのお店にできそう」
 そう言って、嬉しいのと楽しいのが入り混じったにこにこ笑顔のリエちゃんは、小さなグランドピアノ鍵盤のひとつを、人さし指で軽く押す。
 ――ポォン♪
 …………んん?
 ぼくは耳にしたピアノの音の違和感に、内心で首を傾げた。
 単に木と木を打ち合わせただけの音よりは柔らかく、けど、ピアノと称するにはやや固い音が響く。
 けど、違和感はそこじゃなくて。
 リエちゃんはその違和感には気付かなかったようで、ピアノの音に興味を引かれたケロさん、ケロよんが近づいてくると、二匹によく見せるように鍵盤をひとつひとつ、ゆっくりと押していった。
 ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド♪
 緩やかに連なる音階。
 ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド♪
 もう一度繰り返される、何の変哲もないはずの、平凡なはずの連続した音。
「…………」
「…………」
 弾き終わったリエちゃんも違和感に気が付いたのか、不思議そうに小首を傾げる。
 ぼくは、よりはっきりと感じた、何とも微妙な違和感に眉根を寄せる。
「…………えっと、スギくん?」
「……うん、リエちゃんの違和感は間違ってないと思うよ」
 戸惑うリエちゃんに苦笑を返す。
 まあ、玩具だし。しかも見本用の展示扱いだったんだから、それほどいい扱いを受けていたわけでもないし。もちろん、手入れはちゃんとされていただろうけれど、それでも限度があったんだろう。
 連続して音が出されてようやく気付けた違和感の正体は、微妙な音程のずれ、だった。どうやら、小さなピアノが奏でる音は全体的に音程がずれているらしい。それも、らしい、としか言えない、簡単には「音がずれている」とは断言できない程度の微妙なずれ。
 ドの音を出すべき鍵盤からがファの音が聴こえるとか、♯や♭が付くような半音の違いですらない。例えば、出された音を聞き分けろと言われたならば、ドの音に対してはドと、レの音ならばレである、とぼくは答えるだろう。けれど、実際は少し違う。確かにその音にしか聴こえないのに、本来の音よりほんの少しだけ――それこそ、薄皮一枚分――低い音、高い音。ひとつひとつの音だとほとんど気付かない違和感は、他の音が伴われることによって、よりはっきりとした違和感となって鳴り響く。
 ぼくは、ふと気になって小さなギターを手に取ってみる。軽く爪弾いてみれば、案の定、こちらも同じく微妙に本来の音とずれた音を鳴らす。……まあピアノはともかく、ギターだったら調整して直すことができそうではあった。
 そもそも展示用だから、そこまで演奏を前提にする必要はないとは思うけど、それでも直したくなるのは音楽畑の人間の性分だろうか。
「あのさ、リエちゃん――」
 ――ギターの弦を調整するのに、少しの間借りてもいい?
 そう、続けようとした言葉が途切れる。
 ド、レ、ミ、ファ、ミ、レ、ド♪
 流れてくるメロディに、ちょっと目を瞠る。
 見れば、リエちゃんがピアノを弾いていた。
 傍で行儀よく並んで座っているケロさん、ケロよんから素直に連想したのか、かえるのうた、という誰でも一度は聴いたことのあるだろう曲だった。けど、微妙に音のずれた鍵盤から奏でられる曲は、間違いなく『かえるのうた』だというのに、知らない曲にも聴こえくる。
 それはリエちゃんにとっても同じ感想だったようだ。
「……何だか不思議。知らない曲を弾いてるみたい」
 どこか楽しそうに顔を綻ばせたリエちゃんは、くすくす、零れる笑みを隠そうともせず、かえるのうたに聴こえないかえるのうたを繰り返し弾いていた。
 知っているのに聞きなれない曲も、繰り返し繰り返し耳にするうちに、それが当たり前のように耳に、心に馴染んで聴こえてくる。
 聴こえてくる曲を耳にして、そうして玩具のピアノでその曲を楽しそうに弾くリエちゃんの姿を目にして、目からウロコが落ちる――何て言ったら大袈裟だと言われるだろうけど、その時のぼくの気持ちは正しくそれだった。
 見慣れた楽器に似ている、どこか見慣れない楽器。聴き慣れた音と同じようで、ほんの少し異なる音。それが奏でる音を、曲を心から楽しんでいる姿。鍵盤から奏でられる音を使って、そこにある全部の音たちと一緒に音楽を作り上げて行くこと。音が違うことを否定する――直す――ことをしない、それがとても彼女らしく思えて。
 そうして眺めて耳を澄ましてみれば、ちょっとだけ外れた音程はどこか弾き手を思わせるものだった。
「――うん。よし」
 小さく頷き、唐突に立ち上がったぼくに驚いて、リエちゃんの手が止まった。
「スギくん?」
「……と。おどろかせちゃったね。気にせず続けてて」
 そう言って、少し離れていた距離を詰めて、リエちゃんのすぐ間近に座り直す。ちら、と横目で傍のソファに立てかけていたままのギターを見遣ったけれど、結局ぼくが手にしたのは玩具のギター。何の調整もせず、微妙に音が外れたままの小さなギターを掲げて見せた。
「そんな楽しそうに音楽してる姿を見せられて、鑑賞しているだけじゃ音楽を生業とする身としては所在がないだろ?」
 ぜひとも混ぜて欲しいな、と言外に含めれば、リエちゃんは途端にわたわたと、困った様子で周囲を見回し始めた。……うん、いや、なんというかぼくとリエちゃんとケロさん、ケロよんしかいないわけで、そんな誰かに助けを求める眼差しを四方に向けられても。
「……えーっと、そんなに、嫌……かなぁ……」
 嫌だ、なんて言われたら再起不能になる自信があるなぁ……そんな後ろ向きな自信だけが満々のぼくの言葉に、リエちゃんはふるふると一生懸命に首を横に振って答えてくれた。その姿に、ほっ、と心底安堵の息を吐くぼくに気付いた様子もなく、リエちゃんは「でも」と言葉を続ける。
「リエ、簡単な曲しかわからないよ?」
「うん。わかる曲を好きなだけ弾けばいいと思うよ」
 あっさりと答えたぼくの言葉に、ふ、とリエちゃんの肩から力が抜けるのがわかった。
「音楽って音を楽しむって書くだろう? だから目一杯楽しめばいいのさ」
「――もう、スギくんたら。なぁに、それ」
 したり顔で講釈するぼくの言葉に、リエちゃんが小さく吹き出した。けれど、すぐに、
「そうだよね。難しい楽譜を弾くことが音楽じゃないんだもんね」
「そういうこと」
 納得してくれたリエちゃんに、鷹揚に頷いてみせる。
 一石二鳥で弾けるような曲で良い。それこそ、誰もが小学校で一度は習うような曲で良いのだ。みょうちきりんな音程に笑って、首を傾げて、リズムを変えて、時には音の順番を変えたりして。そうして、ぼくらはぼくらの音を楽しめば良い。
 それじゃあ始めようか、と声を掛けようとして、リエちゃんが驚いた様子でぼくの斜め下隣を見つめていることに気がついた。どうしたのかとそちらを見遣れば。
「……なに、してんのさ」
 そこには、いつの間にかカスタネットを手にしたケロさんとケロよんの姿が。
 じぃぃぃぃっと、期待に満ちた眼差しでぼくらを見つめてくる、二匹のカエル。
 あー…………つまり、だ。
「…………君らも参加したいってこと?」
 うんうん、激しく首を縦に振ると同時に、カタカタとカスタネットを打ち鳴らすケロさん、ケロよん。
 ぼくとリエちゃんは顔を見合わせ、互いに吹き出しそうなのを堪えて笑みを交し合う。
「――音を楽しむんだし」
「――ま、資格はあるよね」
 かくして、ぼくとリエちゃんとケロさんとケロよんと。二人と二匹だけの小さな音楽会の幕が開いたのだった。





POP’N room