病は気から おまけ


 風邪もすっかりよくなって、久々――と言うほど日数が経っていたわけじゃないけど、そこはほら気分ってやつで――の外出で真っ先に向かったのはさなえちゃんがアルバイトをしている雑貨屋さんだった。
 理由は至極簡単。最近様子のおかしいリエちゃんのことで、知っていることはないか訊ねようっていうのがひとつ。あと、そのリエちゃんに偶然出会える確率が高そうだから、っていうのがもうひとつの理由だった。
「それにしてもさ、スギ、本当に心当たりないわけ?」
 さなえちゃんの所に行くというので当然のごとくついてきたレオが、疑わしそうに聞いてくる。この質問、これで何度目か数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいされている。もちろんぼくの答えは変わらないから、これで何度目になるか覚えていない返答を繰り返すことになる。
「くどいよ、レオ。まったくないから悩んでるんじゃないか」
「けど、確実に避けられてるよね、スギ」
 ――そう。ここ数日、ぼくはなぜかリエちゃんに避けられていた。避けられる、って言っても、メールでのやりとりは普通にしている。ただ、電話に出てくれないし会ってくれない。むしろ風邪が完治する前まではよくお見舞いに来てくれていたのに、風邪が治ってから急に会うことを避けられている気がする――いや、現実を見つめよう。会うことを避けられていた。
「……なんで避けられるんだろう……」
 はあ、と深く吐いたため息に、我ながら陰鬱だなぁと頭の片隅で思ってしまう。隣のレオにとってはその感想もひとしおのようで、うんざりと言うか鬱陶しいと言うか呆れ果てたと言うか、とにかくそんな感情が入り混じった上に、ひどく投げやりな声が返ってきた。
「やっぱり何かしたんじゃないのー?」
「失礼な。まだしてないよ」
「ちょっと待ってスギ。『まだ』って何。『まだ』って」
「ん? いや、深い意味はないと言うか未来の事はわからないって言うか」
 いやそれ文章矛盾してない? だのなんだのと喚くレオの言葉を聞き流しているうちに、目的地である雑貨屋さんが見えてきて、ぼくは「おや?」と思って目を瞠った。お店の入り口の前に見慣れた人影が立っていたからだ。
 こちらに背を向けている黒髪の少女は間違いなくさなえちゃんだろう。そしてさなえちゃんと向かい合って、つまりぼくら側を向いてさなえちゃんと楽しそうに話しているのは――
「リエちゃん!」
 もちろん、この偶然を狙っていたことは確かだけど、それでも本当に起こってくれた偶然が嬉しくて、会いたくてしょうがなかった彼女の元へ駆け出そうとして。
「……あー、逃げられたね」
 レオがぼくの肩を同情したように叩く。
 ぼくはと言えば突然のことに呆然としたままで――ぼくらの姿を見るや否や、いきなり走り去ってしまったリエちゃんの後ろ姿が遠ざかっていく様を、何も言えずに見守ることしかできなかった。



 ――というのが小一時間ほど前の出来事。
 ぼくが今いるのはリエちゃんの家の玄関前だ。途中で走ったりしたのが病み上がりの身体にはよほどこたえたようで、みっともないことにぜえぜえと荒く息を吐くハメに陥っていた。
 息が整うのを待ってからチャイムを鳴らしてしばらく待つと、インターフォンから聞きなれた声が響いた。「ぼく」とだけ簡潔に答えると、インターフォンの向こうにいる相手は途端に沈黙してしまい、ひょっとして「ぼく」だけじゃ通じなくて不審に思われたんだろうかと心配になった頃、
『な、なんでスギくんがいるの!?』
 あぁ、何だ。長い沈黙は、どうやら驚きのあまり動揺していたためらしい。それにしても、インターフォン越しとは言え数日振りの会話に思わずじーんと感じ入ってしまう。
 ああいやいや、そこで感動している場合ではなくて。
「何でも何も。さなえちゃんに聞いてお見舞いに来たんだよ」
 答えながらぼくはつい先ほどのことを思い出していた。

 ――風邪? リエちゃんも?
 ――ええ。でも熱はないみたい。ただ、ここ数日よく咳をしてて。
 ――スギの風邪がうつったのかな?
 ――それはわからないけど……うつしちゃいけないから、って二人のことを避けてるらしいの。本当はわたしも避けられ気味なんだけど、もうすぐGirly Candyのショーがあるからどうしても衣装合わせが必要でしょう? でも……。
 ――衣装作りでゆっくり休めないから風邪も長引いてる、と。

 つまり、会おうとしなかったのは万が一でも風邪をうつしたくないからで、電話に出てくれなかったのは体調不良に気付かれたくなかったから、そういうことらしい。だからといってあんなに全力疾走していくこともないと思う。まあ、リエちゃんらしいと言えばらしいのかもしれない。
 ぼくの方は避けられていた理由に安心したのと、心配したのとで少々複雑な心境になってしまったけれども。
 その後、レオをさなえちゃんに預けると、キッチンを拝借してお見舞い品を作ったぼくは急いでリエちゃんの家にやって来たと言うわけだ。
『えっと、さなえちゃんにも、言ったんだけど』
 時折咳き込みながら話すリエちゃんの言葉に被せるように、さなえちゃんから聞いていた台詞を言う。
「熱もないし、たいしたことはないよ、だろ?」
『う……うん』
「でも、風邪を引いていることは確かなんだから、お見舞いしておかしいことは何もないよね?」
『えっと、それは、』
「ね?」
『……で、でもね、スギくん、せっかく風邪が、治ったのに』
「うつると決まったわけじゃないでしょ? それに、持ってきたお見舞い品を受け取って欲しいだけだし。ね? あっという間だよ? それだったらうつる間もないと思うよ」
『う……でも、でもね』
「ちなみに受け取ってもらえるまで帰る気ないから。あー、そろそろ風が冷たくなってきたなー」
 更に駄目押しにわざとらしくくしゃみをしてみせる。
 うん、まあ、冗談抜きで風は冷たくなってきてるけど。
 インターフォンの向こうが完全に沈黙して、やがてドアの向こうからぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。カチャリという音がしたかと思うと、ほんの少しだけドアが開かれる。
 開いた隙間から恐る恐る顔を覗かせるリエちゃんに、ぼくは苦笑を浮かべた。
「なんだかそうやって警戒されると、悪い人になった気がしちゃうね」
「えと、そんなつもりじゃ……と、とにかく、どうぞ……」
 大袈裟に嘆いてみせると、リエちゃんは慌てたように首を振ってから、ドアを大きく開いて中へ呼んでくれた。その最中でも咳は出てしまうようで、ぼくが玄関に入る途中でも口許に手を当てると後ろを向いて、コホ、コホ、と小さく咳き込んでいた。
 ドアが閉まり、冷たい風も吹き込まない家の中は外よりずっと温かかった。もっとも、本当に長居をする気はなかったので、スリッパを用意した後「何か温かい飲み物用意するね」と言って部屋の奥に行こうとするリエちゃんを止めて、ぼくは手にしていた袋を差し出した。
「スギくん?」
「お見舞い。さなえちゃんに頼んでお店の奥のキッチンを使わせてもらったんだ。特製カフェオレ。魔法瓶に入れてきたからまだまだあったかいよ」
 これを飲んで早く元気になってね、と続けると、驚いていたリエちゃんの表情が徐々に嬉しそうな笑顔に変わって、「ありがとう」の言葉と一緒に袋を受け取ってくれた。
 ようやく目にした笑顔に、ぼくもつられたように顔が緩む。
 リエちゃんは受け取った袋を大事そうに抱え込むと、
「きっと、風邪なんて、あっという間に治っちゃうね」
「そりゃそうさ。そのカフェオレの半分はぼくの愛でできますから」
 澄まして言ったぼくの言葉に、リエちゃんの頬にほんのり赤味が差した。
「あれ? リエちゃん熱が出てきたかな? じゃあ、長居すると悪いからそろそろかえろーかなー」
「……もうっ、スギくんってば……! そうね、あんまり長くいると、うつっちゃうから、早く帰ってください……!」
 いけない、いけない。うっかりからかいすぎたらしい。苦笑しつつ、リエちゃんにぐいぐいと押されるままに外に出ようとしていたぼくは、ひとつ思い出して進む足を止めた。
「そうだ、リエちゃん、もうひとつ」
「……もうひとつ?」
「うん。忘れる所だった。効果満点のおまじないがね」
 それだけ言って、不思議そうに見上げてくるリエちゃんの前髪をそっとかきあげると、額にそっと口付ける。それから唇を彼女の耳元に寄せ、
「――早く元気になってね?」
 ただ一言だけ囁いた。





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