予行練習


 通り過ぎようとした露店の前で、ほとんど同時にふたりの足が止まった。
「わあ、かわいい!」
 隣から上がる歓声に、スギはちらりと横目でリエの視線の先を辿る。
 辿り着いた先では、花をモチーフにしたネックレスや指輪のシルバーアクセサリが所狭しと並べられていた。手作りの強みだろう、なかなか凝ったデザインのものから、一見シンプルだが実際に作ろうとすればかなり手がかかりそうな細工ものまで、ひとつひとつがとても丁寧に作られている。そういったものに余り詳しくないスギでも素直に感心してしまうくらいにはできがいい。
 何より、こういったものには充分目が肥えているであろう隣の少女が、陳列されたアクセサリに「きらきら」という擬音語がついてしまいそうなくらい輝く眼差しを送っている様を見れば、それだけで並べられた作品の完成度は自然と知れる。
 スギは、ふむ、と少し考え込んでから、おもむろに指輪のひとつを手に取った。
「これいくら?」
「スギくん?」
 驚いたように見上げてくるリエを気にした様子もなく、スギはさっさとお金を払って指輪を受け取る。隣で物問いたげに見つめてくるリエにっこりと笑顔を浮かべて見せ、
「リエちゃん、行こう」
「あ、うん」
 ふわふわとした茶色い髪が上下に揺れるのを確認すると、あっさり露店から立ち去った。
 そのまましばらく無言のまま歩を進め、その間弄うように手の中で指輪を転がしていたスギは、やおら、ぽん、と投げ出す気安さで隣の少女に指輪を渡した。
 突然のスギの行動に、それを慌てて両手で包み込むようにして受け取ったリエは、思わず手の中の指輪と、隣のスギの顔を交互に見比べた。
「……あの、スギくん、これ」
「うん。見ての通り、指輪だね」
「そうだけど、そうじゃなくて。急にどうしたの?」
 もっともな問い掛けに、スギは「そうだねぇ……」と言葉を探して視線を泳がせた。
 結局、返ってきたのは問い掛けにたいする答えではなく、別の問い掛け。
「嬉しくなかった?」
 リエは勢いよく首を横に振った。
 それは単なる偶然かもしれないし、あるいはリエの好みを把握しているスギにとっては必然なのかもしれないが、スギが買った指輪はリエが真っ先に目を留めたものだった。良いな、と思っていたものを、しかも想っている相手から渡されて、嬉しくないなんて、そんなことがあるはずがない。
 だからリエはそう思ったままに首を振り――ふと、真顔になってスギに尋ねた。
「この指輪、リエがもらっていいの?」
「――いや、そのつもりで渡したんだけどさ……」
 ――がくり。
 そんな効果音がついてしまいそうなくらい派手に肩を落として、スギは「リエちゃんらしいけどね」と笑いながら――どちらかというと苦笑に近いものだったが――付け加える。
 その言い方にリエの表情が憮然としたものになり、「それ、褒めてないでしょう」とスギに詰め寄ろうとしたリエだったが、まだちゃんとしたお礼を言っていなかったことに気付いて口をつぐんだ。
 リエの視線が改めて手の中の指輪に落とされる。高級な店のショーウィンドウに並ぶもののようなきらびやかさはないけれど、光を受けきらきらと確かな輝きを放つ指輪。リエはそれをとても大切そうに握り締めた。
「スギくん」
「うん?」
「――ありがとう」
 口もとに自然と浮かんだ微笑は、まるで花が綻ぶような、そんな言葉が相応しいもので。
 一瞬、見惚れたように目を瞠っていたスギだったが、すぐにその眼差しが嬉しそうに細められた。
「――どういたしまして」



 スギが飲み物を買いに席を立ち、ひとりになったリエは手の中の指輪をじっと見つめた。
 今更になって、どうして急に指輪を贈ってくれたのか、その問い掛けをはぐらかされたことに気付く。
 何となく、そうっと辺りを窺う。お店が混んでいるのだろう、スギはまだ帰ってくる気配はない。
 ――都合よく解釈しても知らないから。
 そんなことを思って、リエは手のひらで転がしていた指輪を右手でつまみあげると、左手に近付ける。
 近付けた先は、薬指。
 指輪は、大きすぎることもきついということもなく、思いのほかきれいにぴったりと填まって、そのことが無性に嬉しかった。
 リエが指輪を填めた手の平をかざしたり、目の前まで近付けてみたりと返す返すしていると、笑みを含んだ声が降ってきた。
「なにをしてるのかな?」
 いつの間に戻ってきたのか、飲み物を手にしたスギがリエのすぐ背後に立っていた。思わず飛び上がりそうになるほど驚いたリエを気にした風もなく、スギは買ってきたジュースをテーブルの上に置いた。リエはその間に慌てて指輪を外そうとしたが、慌てているせいかきついわけでもない指輪が何故か上手く外せない。
「――ほほう」
「――あっ」
 そうこうする内に、妙に時代がかった頷きとともに左手が取られる。
 確認するまでもなく相手はスギだ。
「ス、スギくん……手、放して?」
「ん? やだ」
「スギくんー……」
 突然のことに慌てふためくリエの頼りなげな懇願を笑顔であっさり却下して、スギは指輪が填められたままの左手薬指をまじまじと見つめ、
「ぴったりだね、よかったよかった」
 気楽な調子はまるで、「その意味なんてわかりません」と言っているみたいだったけれど。
「で? 急に填めたりしてどうしたの?」
 問いかける声が、見つめてくる眼差しがとても楽しそうに感じられるのはきっと気のせいではないだろう。
 意地の悪い質問に、リエはそっぽを向くと、右の手でジュースを取った。
「……答えてくれない人には答えてあげない」
 それだけ答えてストローを口に含むと黙秘を決め込む。
 取られたままの左手がとても熱くなっているような気がして、無性に居心地が悪い。
 スギは、ありゃ、やぶ蛇だったか、なんて楽しそうに呟いて、
「――予行練習、かな」
 さらり、と言われた答え――指輪を買った理由――に、リエは思わずむせそうになってしまった。
 だって、このタイミングでそんなセリフ、あんまりじゃないかと思う。
 リエは、どくん、と高鳴る鼓動を相手に気付かれないように――きっと無駄な努力だろうとわかってはいるけれど――努めて平静な調子で問いかけた。
「……なんの?」
「なんのだろう?」
 ――意味深な言葉ばかりばら撒いて肝心なところははぐらかしてばかりだなんて、スギくんはぜったいずるい。
 空とぼけてみせる彼の返事に、リエは改めてそう確信する。
「そんなこと言ってると、リエ、都合よく解釈しちゃうんだからね」
 そんな言葉が咄嗟に口をついて出てしまった。
 言ってしまってから、
 ――ああ、きっとこれは失言に違いない。
 リエの言葉に驚いたように目を瞠ったスギが、一転して得意気な笑みを浮かべる一部始終を目にすれば、そう思っても仕方ないのではないだろうか。
「おや、それはどんな風に?」
 ――ほら、また。
 そうやって、とぼけた調子で聞いてくる。
「内緒ですっ」
「ふーん? じゃあ、僕もリエちゃんに都合よく解釈された内容を僕に都合よく解釈しておこうかな」
「……ど、どんな風にっ」
「ないしょ」
 同じように返されて言葉に詰まるリエをスギは目を細めて見つめていた。
「スギくん、ずるい」
「おや、心外」
 ところでさ、とスギに首を傾げられる。
「最初の質問、僕は答えたでしょ」
 ――だからリエちゃんも答えないとね?
 言外にそう含まれて。
 ――ぜったい、答えなんて訊かなくてもわかっているくせに。
 頬を染めて恨めしそうに見つめてくるリエに、「ほらほら」と答えを急かし返事を待つ表情が余りにも余裕綽々だったものだから。
「予行練習ですっ」
 悔しいので、そう返した。





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