所有宣言


 やっぱり横着せずに買い物カゴを取ってくれば良かった、とスミレは自分の行動を省みながら深々とため息を吐いた。
 左の手の平を受け皿にして、ドッグタグがこんもりと小さな山を作っている。
 ちなみにドッグタグとは主に軍隊で使用される個人認識票の事で、簡単に言うと氏名、生年月日、性別、血液型、所属軍、階級等が打刻されたものである。スミレがなぜそんなものを大量購入しているのかと言えば、彼女の部下であるアップアップたちに持たせるためだ。今ではアクセサリの一種にもなってしまっているようだが、もちろんスミレは本来の用途で持たせている、つもりだった。周囲の人たちからはちょっと変わった迷子札としか見られていないことには気付いていない。
 しかし元気に動き回るアップアップたちにかかれば、せっかくのドッグタグをしょっちゅう失くしてしまったり、あるいは傷だらけにして刻まれた文字を判読不能にしてしまうことも珍しくなかった。ドッグタグだろうが迷子札だろうが、紛失したり肝心の内容が読めなくなっては意味がない。そのためスミレは比較的早いサイクルで定期的に新しいものを配ることにしていた。そのこともあって今ではすっかり店の常連にもなり、特に何も言わなくても必要な情報を打刻してもらえるのだが、この件に関しては喜ぶことなのかどうか、微妙に判断が付いていない。
 今回のドッグタグ大量購入もそろそろ新しいドッグタグを配る時期になったが故のことだった。
 そのドッグタグ自体は小さなものだが、数が増えればそれなりにかさ張ってしまうのも当然だった。しかも金属片を重ねてできた山は、決して安定性が良いわけではない。少しバランスを崩しただけで、そのまま手の上から雪崩落ちてしまいそうだ。いくらドッグタグ意外に購入予定品がなく、レジに向かう以外の行動の必要性がないと言っても、これでは移動しにくいことこの上ない。
 とにかくさっさと会計を済ませてしまおう、とスミレは靴音も高く広い店内を颯爽と進んだ。
 しばらくしてレジに並ぶ人の列が見えてきたところで、脇目も振らずそこを目指していたスミレの足が唐突に止まった。
 ほんの一瞬、スミレの視界の端を掠めたものがあったのだ。それは本当に一瞬のこと過ぎて、スミレはそのものをはっきりと視認できたわけではなかった。しかし、どうしてかそれが無性に気になって仕方がなかった。
 一歩、二歩。通り過ぎてしまった分の歩数を下がり、大体この辺りだったかしら、と適当な当たりをつけて視線で探れば、
「……これ」
 惹かれるように視線は自然とそこに辿り着いていた。
 自分でも何を探しているのかわかっていなかったはずなのだが、ひと目見た瞬間、スミレはそれが探していたものだとわかってしまった。
 スミレは見つけたものをしばらく逡巡するようにじっと見つめていたが、やがておもむろに頷くとそれに向かって手を伸ばした。
 決断のきっかけは、どうしてか自然と脳裏に思い浮かぶ、いつの間にかすっかり顔馴染みとなった青年の姿だった。



「――というわけで、はい」
「――はい?」
 会うなり、ずい、と睦月の目の前に突きつけられたのは、ペンケースくらいの大きさの箱だった。反射的に差し出した手に乗せられた箱は、大きさに見合って軽く、綺麗な包装紙に包まれて花を模したリボンが飾られている。つまりとても綺麗にラッピングされており、どう見てもプレゼントにしか見えない箱だった。
 間違いなく、プレゼントにしか見えない、のだが。
「えーと、スミレちゃん、これは?」
 誕生日でもなければ、バレンタインやクリスマスといったイベント日でもない。そんな日にプレゼントの外見を伴った物体を渡される意図がわからず――加えて言えば、何が「というわけで」になるのかも説明されていない――、睦月は思わず疑問を口にしていた。
 どことなく照れくさそう睦月から微妙に逸らされていたスミレの視線が、一瞬で半眼の眼差しとなって突き刺さる。
「睦月君に、よ」
「……あー、うん。そうだよね。変なこと聞いてごめん」
 他に誰がいるって言うのよ、と唇を尖らせる少女に、睦月は反射的に頭を下げた。と言うか、睦月が聞きたかったのは、誰に、ではないのだが。
 すっかり気分を害したスミレに叱られるのを和やかに受け流す裏側で、まさか自分が覚えていないだけで今日は何か大切な記念日だっただろうか、と睦月は必死になって記憶を探る。
 ――アップアップたちの誕生日はまだ先だし、初めてあった日も再会した日も全然違うし。
 他にもうっかり口にすればスミレに「そんなことまでいちいち覚えてるんじゃない!」と真っ赤になって怒鳴られそうな(あくまで睦月の個人的主観としての)記念日をつらつらと思い出していくが、目ぼしい記念日は悉く今日と言う日付にヒットしない。
「大体ね、睦月君は――」
「えー、その、スミレちゃん?」
「――ん? なによ」
「その……これ、なんで……僕に?」
 自分が覚えていないだけでもしかしたら少女にとってとても大切な記念日なのかもしれない。場合によっては更なる説教と体罰くらいは受ける覚悟をして――その割には、恐る恐るという感じは拭えなかったが――訊ねた睦月に、スミレはあっさりと答えを返した。
「この間、アップアップたち用の新しいドッグタグを買いに行った時見つけたの。睦月君にぴったりだと思って、私ともあろうものが思わず衝動買いしちゃったわ」
「ふぅん?」
 スミレの衝動買いが理由なら、睦月に心当たりがないのも当然だった。かなり生々しく思い描いていた未来予想図が回避されたことに、睦月は胸の内でひっそり安堵の息を吐く。しかしそれも束の間のことで、そういったものを取り扱う店で、自分にぴったりのどんな品物を見つけてきたというのだろうか、と別の不安材料が首をもたげてくる。
 もちろん、スミレが睦月のために選んで買ったプレゼント、という事実そのものは純粋に嬉しいものではあるのだが。
 そんな一抹の不安を覚える睦月に気付いた様子もなく、
「ほらほら。睦月君、何をぼさっとしているの。さっさと開けて見なさい」
「え、いいの?」
「いいのよ。渡した本人がそう言ってるんだから」
 だからさっさと開けて見なさい、とスミレはしきりに催促してくる。
 すぐに開けるならこんな丁寧な包装をしなくても、と思ったが、プレゼントの意味が強いということならば、すぐに開けてしまうのがもったいなく感じられた。しかし、ここでいつまでも躊躇していると、焦れたスミレが力任せに包装を破りとってしまいそうな気配も濃厚だ。せっかくのプレゼントの包装を無残な姿にするのも忍びなく、睦月は丁寧にリボンを外し、包装紙を剥がしていった。
 後で再利用できそうなくらい綺麗に剥がされた包装の下から出てきた箱は、天鵞絨の手触り、とまでは行かなかったが手触りのいい布張りの箱だった。
 緊張の面持ちでふたを開け、自然と膨らんでいく期待に胸を高鳴らせて中を覗きこみ――睦月の顔が微妙に引き攣った。
 指先でつまんで、そうっと取り出す。
 入れられていた箱からわかるように、そのもの自体は決して大きくはない。材質は革。色は黒。幅は3センチもないだろう。その代わりかどうかわからないが、長さは40センチから50センチくらいはある。革の片側の端には小さい穴が数個、一列に並んで開けられている。もう片方の端には鈍く光る、おそらく銀製と思われる金属の金具が少々取り付けられていた。見た目としてはベルトを小さくしたものに酷似している。むしろ小さいベルトそのものと言える。
 一応、チョーカー、と一般的には分類される代物である。
 ちなみに別の言い方をすれば、
「どう? その首輪」
 感想を聞いてくる少女がまったく何の悪気なく使用した単語に、睦月の胸中で、やっぱりそっちの意味合いなのー!? と声に鳴らない叫びがこだました。
 確かにお洒落な装飾品として同じようなアクセサリは事欠かない。チョーカーと呼ぼうと首輪と呼ぼうと、それは呼び手の意思によるところもある。
 しかし、首輪がぴったり、とはどういう意味だろうか。どういう意味で解釈してよいのだろうか。良い意味から悪い意味まで幅広く内包する単語の装飾品に、睦月は言葉に詰まった。
 かと言って真意を本人に尋ねるのは失礼にも程があるし、何より、そもそもこれが装飾品という意味ですらなかった場合、悲しいことこの上ない。
 もっとも、繰り返すが首輪の真意はともかくとして、スミレからのプレゼントというそれ自体は、睦月にとって嬉しいことであるのは間違いないのだが。
「……気に入らなかった?」
 どう返答したものか、と頭を悩ませる睦月の姿をどう捉えたのか、スミレの瞳が不安げに揺れる。本人はなんでもない様子を装っているつもりなのだろうが、プレゼントを受け取った睦月の反応を気にしているのは明らかだった。
 睦月は慌てて首を振ると、今にも「やっぱり返して」と涙目で言い出しそうなスミレから隠すように両手で首輪を握り締める。
「そんなことないよ! すごく嬉しい!」
「そ、そう?」
 大袈裟すぎるくらいの睦月の主張に気圧されつつ、スミレは「それは良かったわ」とツンと済ました顔で鷹揚に頷く。それでもやはり嬉しいのだろう、必死に済ました顔を装う口許はふよふよ微妙に揺れ動き、今にも綺麗な弧を描きそうだった。
「……ただ、ちょっと意外だったと言うか……」
「意外?」
「そのー、首輪が似合う、って言うのが」
 果たしてどんな答えを返されるのか。内心びくびくと怯えながら訊ねる睦月に、スミレは合点がいったとばかりに頷くと、悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「そっか、睦月君そのことを気にしてたのね。そうね。確かに、睦月君には一見してワイルドさとか格好良さに欠けてるとは思うけど」
 容赦ない批評に睦月は頬を引き攣らせ、同時にそういう――つまりワイルドさや格好良さの補助アイテムとしての――意味合いでの贈り物か、と胸を撫で下ろした。
 そんな睦月の一挙一動を面白そうに眺めていたスミレは、
「絶対似合うわ。大丈夫よ、何より私がそう言ってるんだから」
 そう言って、太鼓判とばかりに勢いよく睦月の肩を叩く。
 ばんっ、と派手に鳴り響く証明の音。音に見合った痛みにもあったけれど、それ以上に嬉しくて仕方がない。睦月の口許が苦痛ではなく、堪え切れない嬉しさに、ふにゃり、と緩んで――
「…………それに、耳も尻尾もあるし」
「…………………………あのー、スミレちゃん?」
 完全な笑みをかたどる前に強張ってしまった口許を何とか動かして、不穏な呟きを零した少女に声をかけるものの。
 ――だから、それってどういう意味なんだろうなあ……?
 と、訊ねるには、返ってくるだろう答えが怖すぎて。
「? 睦月君、なに?」
「………………………………なんでもない」
 やっぱり、答えを訊くことはできなかった。



 家に帰った睦月は、せっかくのプレゼントをどうしようか、と頭を悩ませていた。
 真意はどうあれ、スミレからのプレゼントを無下にするつもりは毛頭ない。それだけは嘘偽りない心情だった。
 一番の活用法は身につけることなのだろうが、あいにく睦月の服はハイネックのシャツが多いため首に着けても隠されてしまう。かと言って服の上から首輪をしようにも――この際、服の上から着けたら苦しくないかとかそういう問題は置くとしても――服の柄的にプレゼントされた首輪と合いそうなものがない。
 目立たないけど着けるのか。
 似合わないけど着けるのか。
 出会った時のスミレの反応も考慮するとなると、中々に難しい問題だった。
 とりあえず試しに一度着けてみよう、と箱から首輪を取り出し、
「……あれ?」
 気付いたものに睦月は首を傾げた。
 光の加減のせいだろうか、スミレに言われて取り出した時には気付かなかったが、首輪の革部分に明らかに不自然な模様が見えた。それも首に巻いた時に目立つ外側ではなく、完全に隠されてしまう内側に、だ。しかもそれはただの模様ではなく、どうやら文字のようだった。
 スミレは何も言っていなかったが、もしや何かしらのメッセージだろうか、と睦月は首輪に書かれた文字にざっと目を通した。しかし視線が文字を追っていくにつれ、睦月の肩ががっくりと力なく下がっていく。
「スミレちゃん……何もここまで徹底しなくても……」
 愚痴が零れてしまうのも仕方ないだろう。
 文字の羅列はメッセージではなく睦月の名前と住所だったのだ。
 飼い犬や飼い猫たちが迷子になっても帰ってこれるようにという配慮の元、ペットたちの名前と連絡先の住所や電話番号、そういった内容を首輪に入れるのと似ている――と言うか正にそれそのものである。
 いくらなんでも悪意はないだろうが、他意や作意を疑ってしまう。できればどんなに捻くれていようと好意の一種であって欲しい、そんなことを切々と願わずにいられない。
「……まあ、それは置いておくとしても、ずいぶん書き込んでるなぁ……」
 首輪は決して幅広くなければ長さがあるわけでもない。その狭い限られた範囲に、睦月の名前、住所、家の電話に携帯電話まできっちり書き込まれている。
 こんな狭いスペースに、人によっては老眼鏡や拡大鏡が必要そうな文字を書き込むのは大変だっただろう。それなのに文字は一分の乱れもなく、読みやすい綺麗な字が並んでいる。
「うーん。さすがスミレちゃん。妥協のないいい仕事するなぁ…………ん?」
 妙なところで感心しながら文字をつらつらと眺めていた睦月は、ふと違和感に気付いて首を傾げた。
 改めて名前と住所と電話番号を読み返し――そして、睦月の顔が真っ赤になった。心なし耳と尻尾も普段より割り増しで、ぴん、と立っている。
 それは確かに、そらで言えるくらい見慣れ馴染んだ住所であり、電話番号だった。
 だから最初は――しっかり読み直すまで違和感に気付かなかった。
 それが、スミレの家のものだ、ということに。
 首輪に書かれている名前は間違いなく睦月の名前。だから首輪の持ち主は睦月だと示しているのに、けれど家は、連絡先は彼女のもので。
 それは、つまり。


 そこが睦月の帰る場所なのだ、ということらしかった。





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