ことば
手元のレコードに落とされていた視線が向けられて、互いの視線が真正面からぶつかった。
もう遅い、と分かっていたけれど、リエは慌ててラックに並んだレコードに目を向ける。もちろん、自分ですらわざとらしいと感じる行動に目の前の彼が気付かないはずもない。案の定小さく吹き出す音が聞こえたかと思うと、半ば意固地になって目線をレコードに固定するリエの視界にスギが割り込んできた。
「どうかしたの?」
「――っ!」
「……そんなに嫌がらなくても」
思いのほか間近に迫った顔に驚いたリエが思わず身を仰け反ると、彼は大袈裟に嘆いて見せた。
これは演技だ嘘泣きだ、と分かっていても、悲しそうな顔をされると罪悪感は湧いてくるわけで。
「あの、嫌がってるわけじゃなくて、ちょっと驚いただけで」
「ああ、そうなんだ。それは良かった――で?」
「……『で?』って?」
「さすがの僕でも照れちゃいそうな、あの熱い視線はどうしたのかなって」
「あ、熱い視線って、そんなこと――」
――ないよ、と続けることはできなかった。
覗き込むようにしてまっすぐな視線を向けられたら、本当は違っているはずもないのだから、そんな些細な嘘をつき通せるわけもない。
だからと言って素直に答えようにも、そういう時に限って想う通りの言葉は出てこないもの。
簡単なはずのことが途端に難解になりもする。
否定も肯定もできなくて黙り込むと、スギは片眉を器用に上げて、
「そんなにいい男だった?」
わかっていて、それでもリエに答えを言わせたくて聞いてくる。
――もっとも、困らせて楽しんでる面が無きにしも非ず。
「……いじわるっ」
リエは頬を膨らませてそっぽを向いた。
どこか懐かしいメロディの流れる室内で、パラ、パラ、と不規則に雑誌のページが捲られる音だけがする。
無意識の内にぼんやりと隣のスギを見つめていることに気付いたリエが慌ててあさっての方向へ顔を向けると、スギのページを捲る手が止まって肩を震わせる気配がした。
微かに触れる腕からその振動が伝わって、リエは気恥ずかしさに顔をうつむかせる。
――時折、無性に言葉にしたくなる想い。
伝わっていると分かっていても、どうしても伝えたくなる気持ち。
心の中では何度も繰り返して、ひとりでいる時に息をするみたいに言葉が自然に零れ落ちることもあった。
それなのに何故か、彼の前で口にしようとした途端、浮かんだ言葉はとけて、消えて。
居竦んでいるのか、恥ずかしいのか。
自分でもわからないまま、それでも自然と視線は隣に向けられ、僅かに開かれた唇は、けれど形にしたい言葉を見失って閉ざされる。
それでも伝えたくて手を伸ばす。触れる。
触れたところから想いが流れていけばいいのに、と思いながら。
そんなことを考えていたら、触れていた手が掴まれて引き寄せられた。
声を上げる間もなくスギの腕の中にすっぽり包まれて、ちょうど彼の胸元に抱きとめられる形になったリエの耳に二つの早い鼓動が聞こえた。
――ひとつは自分、もうひとつは彼。
そっと顔を見上げると、スギは表面上はそ知らぬ様子の飄々とした顔のままだったけれど、伝わる鼓動は早いまま。
何だか急におかしくなって、伸ばした腕を彼の首に回した。
それから少し身体を起こして、リエはスギと視線を合わせた。
「――あのね?」
「ん?」
ついさっきまで難しかったはずの言葉が不意に簡単なものへと変わり、するりと口に出る。
「好き」
何の前触れも、脈絡もなく言われた言葉に、スギはほんの少しだけ目を丸くして――嬉しそうにその目が細められた。口許には微かな笑み。
「――うん」
「大好き」
「知ってる」
――僕もだからね、と当たり前のように続けられる言葉。
それから、お互い顔が赤いね、とくすくす笑いあっていた。