Color


(SIDE R)

「じゃあ、お先に、レオ」
 あーやれやれようやく終わった間に合ってよかった、なんて言いながらこれ見よがしに人の目の前で思いっきりあくびをしてみせるものだから、殺意が芽生える瞬間っていうのがどんなものなのか初めて実感できた気がする。
 ぼくの目の前には最後の1フレーズがどうしても埋まってくれない楽譜が1枚。
 これをどうしても今日中に完成させなければいけない、ということは完成できるまで外出するなんてもってのほか、というわけで。
 ちなみに目の前の、いそいそと外出の準備を始めているスギも同じ条件で別の曲を作っていたので、当然、曲の完成したスギはこれから外出しようと部屋で寝こけようとテレビを見ようと踊りだそうと何をするのも自由なわけだ。
 ――わけだけれども。
「ぼくはちょっとレコード店行ってくるよ」
 頼んでいたレコードが届いたって連絡があったんだよね、とこちらに背を向けながら今にもスキップしそうな足取りで浮かれているスギに恨みがましい視線を投げつつ、ぼくはそろり、と手を伸ばした。
 その先にはぼくのものではない楽譜の束。
 ふっふっふ。無用心なり、スギ。
「ちょっと待って、スギ」
 突然の呼びかけに胡乱気に振り返ったスギは、ぼくの手中に収められた彼の楽譜の束を見て、凄く嫌そうな表情を浮かべた。長い付き合いだけあって、ぼくが何か言う前に何かを察してくれたらしい。
「レオ、一体何のつもりか聞いていい? 本音を言えば全然聞きたくないんだけど」
「チョコ買ってきて。コンビニのじゃなくて……そうだな、いつもの店で。あそこなら途中の道のりだから寄り道しやすいだろ?」
「何でぼくがわざわざチョコレートを買ってこなくちゃいけないのさ。レオが自分で行けばいいじゃないか」
 何て薄情な。わざわざ寄り道しやすい店を指定してあげたというのに、何が不服だと言うんだ、スギ。
 ぼくは自分でもはっきり自覚できるくらい憮然とした表情を浮かべた。
「買いに行けるものなら行ってるさ」
 そして空いているほうの手で、完成間近な状態のままかれこれ一時間以上経過しているぼくの楽譜をひらひらと振って見せた。
「あと少しだろ。さっさと最後のフレーズ書き上げれば」
「その『最後』がどうしても出てきてくれないから、買いに行けないんじゃないか」
 言って、ぼくはぱたり、とテーブルに突っ伏した。
 ガラスのテーブルはひんやりと冷たくて、オーバーワーク気味で今にも頭から煙を吐きそうなぼくにはとても気持ち良かった。
 ぼくは、顔だけ持ち上げてスギを睨みつけた。
「だ、か、ら。ぼくの代わりにきみがチョコを買ってきてくれたまえ。大体、一人だけさっさと出かけようなんてずるい。薄情にも程があるね!」
「なに言ってるんだ。ぼくはちゃんと自分の仕事を終えて出かけるんだ。ずるいも薄情もあるもんか。大体、レオだって逆の立場だったら曲作りに悩んでいるぼくを尻目にさっさとチョコを買いに行くなりタバコを買いに行くなりするだろう」
「その意見については否定しないけどね」
「いやそこで即答されても」
 わかってたことだけどさ、とがっくりうなだれたフリをしたスギはすぐに立ち直ると(元々がフリだったのだから立ち直るも何もあったものじゃないとは思うけど)、今度は興味深そうにぼくをじっとみつめ、
「それで? ぼくがきみの要求を断ったら、どうするつもりなんだい?」
 ぼくは、にやり、と悪役じみた笑顔を浮かべて自分の楽譜を脇においた。
「これをスギの楽譜に貼りまくってやる」
 そしてスギに見せ付けるように取り出したものが――
 何種類ものプリクラ。
 ちなみに映っているのは、ぼくだったりスギだったりさなえちゃんだったりリエちゃんだったり。つまりいつもの4人組で何度も撮ったプリクラってこと。みんなで映ったり、1人で映ったり、誰かとコンビを組んだりして、しかもプリクラも機種ごとに違う機能を売りにしてたりするから、代わり映えしないメンバーでよくもまあここまで、って言うくらいたくさんの色んな種類のプリクラがある。ちなみに、さなえちゃんとリエちゃんだけのプリクラっていうのが全体の量の大半を占めている。2人で行った時に撮ったやつをお裾分けしてくれたわけなんだけど……女の子のバイタリティってスゴイな、って思うよ、ホント。
 ――閑話休題。
 つまりこれをレコード会社に渡さなければならない楽譜の余白(いくら何でも、せっかくの曲をダメにしてしまうような真似はできない)に貼りまくってやる、と言ったわけだ。
 案の定、スギは思い切り頭を抱えていた。
 ――そうか、スギにしてもそれはそんなに嫌か。
 自分で言い出した事ながら、実際目にするスギの困惑ぶりにぼくはちょっと安心していた。スギが「好きにすれば」って言い出す可能性もないわけじゃなかったし。けど、ぼく本来の目的としてはスギの楽譜にプリクラを貼ることじゃなくて、チョコを買ってきてもらうことなのだから。
 これでもう陥落したも同然な気はするけど、念のため駄目押しの一言。
「Yes or No?」
 スギは、降参、というように両手を挙げた。
「……Yes」


(SIDE S)

 まったく何を考えているんだレオの奴。
 頭の中で何度もその台詞をリピートさせながら、ぼくは件のお店に入った。途端に、チョコレートの甘ったるい匂いに包まれる。
 せっかくのレコード店巡りの予定がいきなりつぶれた。このお店は夕方には閉まってしまうので(レオの脳裏にそんな時間的事情は入っていないに違いない)、とりあえず取り寄せを頼んでいたレコードだけ受け取って、あとはお店に直行した。いくらなんでも、チョコレートを抱えたままレコード店巡りをするのはちょっと遠慮したい。
 さて、何を買うか、だけど。
 チョコレート専門店、というわけではないけれど、それでもけっこう色んな種類のチョコレートを取り扱っているお店なので、こういう時は多少なりとも悩んでしまう。
 まあ、ことチョコレートに関してレオに嫌いなものなんてないのだけれど。
 新作チョコなんてものがあればそれを買おうかと思ったんだけど、残念なことにそういうものは出ていないようだった。
 いっそ、チョコレートの形や包み紙で選んでしまおうか。
 そう思って、きれいに陳列されているチョコレートたちを見渡した。
 そうしたら、それがぼくの目に飛び込んできた。


(SIDE R)

「これはまた……ずいぶんかわいらしいものを買ってきたね、スギ」
 渡されたチョコの包み紙を見て、ポツリと漏らしたぼくの感想に、スギはむっとした顔で言い返した。
「文句があるなら返してくれて構わないよ、レオ」
「そんなことをするわけないだろう。チョコレートであることに変わりはないし。第一、きみ、だったら別のチョコを買い直しに行ってくれるわけじゃないんだろう?」
「当然だね」
「だったらなおさら返す理由がないよ」
 そう言って、どこぞの妖怪バンドのベース直伝のヒヒヒ笑いを浮かべると、スギは呆れた様子で肩をすくめた。そしてカフェオレを作りに台所に向かった。その背に向かって、今更ながらに「ありがとう」と礼を言う。背を向けたまま、片手を挙げて応えるスギを見送って、ぼくは改めて手の中にあるチョコレートに目をやった。
 白とピンクのチェック模様に、ブラウンの「chocolate」という文字がかわいらしい字体で散らされている包み紙。
 ……何となく(というか、確実に)誰かを彷彿とさせる色合い。
「レオ、どうしたの? そんな難しい顔してさ」
 カフェオレを手に戻ってきたスギが、不思議そうに尋ねてきた。
「うん……あのさ、スギ」
「何?」
「よくこんなかわいい包み紙のチョコ買って来れたね、大の男が。恥ずかしくなかった?」
「いや、まあ……もっと普通のものもあったんだけど」
 微妙に目を逸らしつつ、歯切れの悪い言葉を返すところから、それなりに恥ずかしい思いはしてきたらしい。
「どうしても……これが気になっちゃってさ。頭から離れなかったんだよ」
 だから買っちゃったんだ、と照れた様に笑うスギを見て、ぼくは一気に脱力した。
 ……これはひょっとしてノロケられてる? しかも、本人、無自覚?
「スギはいつからかわいいもの趣味になってしまったんだろうね……」
 嫌味交じりに呟いたぼくの言葉に、スギはしばし考え込み――
「趣味ってわけじゃないけど――そうだな、気になるようになったのはリエちゃんたちと会ったころから? リエちゃんの影響かなぁ」
 いやそんな真面目に返されても、という言葉を飲み込むぼくを他所に、スギは「ああ、そう言えば」と手を打った。
「この包み紙、何だかリエちゃんっぽいね」
 …………
 ホントに気付いてなかったのか、という言葉と、今頃気付かれても、という言葉と、やっぱりノロケているんだね、という言葉。どれがツッコミとして最適か判断がつかないよ、スギ……
「……ゴチソウサマデス」
「? まだ食べてないだろ?」
 充分、胸焼けしそうな勢いです、という言葉をかろうじて飲み込みつつ。
 今度からスギに頼むときは包み紙の指定もしよう、と固く心に誓わずにはいられなかった。





POP’N room