年の初めのご挨拶


 じぃっと見つめる視線の先では、ばつが悪そうにあさっての方向に顔を向けておせち料理をついばむレオの姿。とにかくこっちと視線が合わせないようにという姿勢がみえみえだ。
 それでも非難の気持ちを込めて、更にじいーっと見つめていると、とうとう観念したのかしぶしぶといった風で顔をこっちに向け直す。
「あー……スギ?」
「…………」
「……おーい……」
「…………」
「………………すみません、ぼくが悪かったです、調子に乗りました。ごめんなさい」
 ――まあ、今更謝られても仕方がないといえば仕方がないんだけど。後悔先に立たずとは上手いもんだよね、と思う。ほんと、先に立ってくれればいいのにさ。
 はあ、と新年早々陰鬱な溜息を吐き眉間の皺をほぐすぼくの傍らで、すっかり酔っ払ったリエちゃんがくすくす幸せそうに笑っていた。
 ぼくに抱きついたまま。
 無論、酔わせた原因はレオ。



 忘年会はできなかったけど新年会はやろう、という話がとんとん拍子で進み、年が明けての元旦、皆――ぼく、レオ、リエちゃん、さなえちゃんのいつものメンバー――で朝早くから初詣に行った後、ぼくたちの家でささやかながらの新年会が行われていた。料理は着物姿が眩しい女性陣が持参した力作のおせち料理。ただし、リエちゃんもさなえちゃんも未成年だからアルコールはなしってことにしたはずなんだけど。
「うー、でもさぁ、やっぱり“おとそ”はいるだろ? 正月だし」
「日本の伝統を大事にするのはいいことだと思うけどね、だったら白ワインを“おとそ”にするのは違うんじゃないかいってぼくは言いたい」
 そう、レオがちゃっかり白ワインを持ち込んで、なまじ口当たりが良くて日本酒より飲みやすかったものだから、リエちゃんも普通にコップ半分ほど空けてしまい現状に至る、と。
 そりゃ、ぼくもここまでお酒に弱いとは思わなかったから、リエちゃんにストップをかけるのが遅れてしまったことは否定できない。否定できないが、一番悪いのはやっぱりお酒を持ち込んだレオだろう。そもそも人を買出しに行かせている最中に新年会を始めるものだから、ぼくが帰って来た時には全員のコップに白ワインが注がれた後で、リエちゃんもさなえちゃんも口をつけ始めていた。その辺も止めるのが遅れた原因のひとつだ。
「リエちゃん、甘酒で酔っ払っちゃったこともあるから……」
 ぼくに抱きついたままずっと嬉しそうにしているリエちゃんを微笑ましげに見つめて、小さく苦笑を浮かべるさなえちゃんは、コップ一杯空けているけど少しも酔った様子がない。もちろん、さすがにそれ以上飲もうともしていなけれど。
「さなえちゃん……それ、もう少し早く知りたかったな、ぼく」
「あ、ごめんなさい……」
「レオ、さなえちゃんを責めるのはお門違い」
「え。いや、責めてるわけじゃないって!」
 表情を曇らせたさなえちゃんに大いに慌てた後、レオは恨みがましい視線を向けてきた。
 何だよ、と視線で問い返せば、
「スギはぼくを責めるけど、確かにぼくが悪かったけど、そういうスギだって何だかんだ言って、現状に幸せを噛み締めてるくせに」
「…………いやあ、この昆布巻き、美味しいねぇ。こっちの栗きんとんも」
「ありがとう。栗きんとんはリエちゃんが作ったのよ」
「へー、そうなんだ」
「……さり気なく無視するなー」
 うるさい。今日のキミに発言権はないんだよ、相棒。



 キッチンの方から食器を洗っている音が聞こえる。時折、レオやさなえちゃんの楽しそうな笑い声も聞こえてくるから、あっちはあっちで盛り上がっているんだろう。
 ――もっとも、ぼくの方は盛り上がるとかそういうこと以前の問題なわけで。
 いつの間にか寝入ってしまったリエちゃんは、それでもぼくに抱きついたまま離れようとしなかった。そうなると当然ぼくも身動きが取れなくなるので、後片付けの方はレオとさなえちゃんに任せっきりになってしまった。レオはともかく、さなえちゃんには悪いことをしたな、と思うので、今度何か埋め合わせしようと考える。正確には「レオにさせよう」ってなるのかな。
 もっとも、ことさなえちゃんに関する限りレオも文句は言わないと思うし。たとえ文句を言っても内心大張り切りになるだろう。
 そんなことをつらつら考えていると、ふと視線を感じて顔を下に向けた。
 いつ目を覚ましたのか、リエちゃんが大きな瞳をぱちりと開いてぼくをじっと見つめていた。
「リエちゃん?」
 もう酔いは醒めたのだろうか。顔色は普通に戻っているけれど、何故か無言のままなのが不安といえば不安。……あぁ、もしかしてまだちゃんと目が覚めていないだけなのかも。
「リエちゃん?」
 もう一度呼びかけると、彼女は少し身体を起こして、額をぼくの胸元にこすりつけるように擦り寄ってきた。
 えぇと、これは甘えられてるってことなんだろうけど、もちろん嬉しいんだけど……
「あー……リエちゃん? せっかくの着物が着崩れちゃうよ?」
 ついでに目のやり場にも困るんですが。
 そんなぼくの心の葛藤を知ってか知らずか(いや間違いなく知らないと思うが)、リエちゃんは「んー」と生返事を返すと、もう一度顔を上げてぼくをじっと見つめてくる。
 ――その瞳が、不安に揺れているようにも見えて、何だか胸が締め付けられるような気がした。
「スギくん」
 ぼくが声をかけるより早く、彼女は囁くような声で言った。
「今年もよろしくね」
 それは今朝、初詣前に皆で顔を会わせた時にも聞いた言葉だった。けれど、その時とは確実に違う響きを持っていて、どうしてそんなに不安に揺れる声音で、尋ねるように言うのだろう、そう思った。
「来年も、再来年もよろしくね。――ずっとずっと、よろしくね」
 それだけ言って、彼女はぼくの言葉を待っているのか、静かに見つめてくる。
 なんとなく、彼女の気持ちがわかってきて、ぼくは宥めるように微笑を浮かべた――浮かべることができたと思う。
「――ぼくの方こそ」
 そうして、彼女の耳元に顔を寄せる。
「今年も、来年も、再来年も、ずっとずっとよろしく――ね?」
 寄せていた顔を離して改めて彼女を見ると、嬉しさと安堵の混じった微笑を浮かべる表情が目に入る。
 そして再びぼくの方に身体をもたらせてきて――すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
 寝つきのよさに苦笑が浮かぶ。それとも、あれは寝ぼけての発言かな?
 目が覚めた時、君は覚えているだろうか。
「……愛の告白を受けた気分なんだけどね?」
 明日は今日の続きだけど、今日と同じ明日なんてありはしない。来年、再来年、未来のぼくたちがどうなるかなんてわからない。
 だからこそ、変わり続ける世界の中で、変わらないものを約束するよ。



 ところで、さなえちゃんて着物の着付け、できるよね……?





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