春色風味
時期外れに突然発生したサクラ前線のニュースと、新聞の折り込みチラシの気軽さで投函されていたお花見開催を知らせるMZDからの案内状。
案内状を見た瞬間、ああやっぱりな原因はこいつだったよそうだと思ったんだよ、と深くそして一息で言い切る勢いで――あくまで脳内の思考に止めているから実際に声に出したりはしてないけど――納得できてしまうあたりがMZDの人徳なんだろう。もっともあれは人じゃなくて神だけど。
それはさておき、正に降って湧いたお祭り騒ぎをするのにうってつけの好条件を目と鼻の先にこれ見よがしにぶら下げられて、活用しないなんて言ったらそれこそ許されざる罪悪に違いない。
お花見に行こう――そう言い出したのはぼくだったけど、さなえちゃんもリエちゃんも、もちろんスギだって一も二もなく頷いたのだから、お花見を思い立ったのはきっとみんなほぼ同時だったんだろうな、と思う。
そうしてやって来たお花見会場では、今にも通り過ぎようとしていた春がそのまま――いや、通り過ぎていく前よりもっと盛大になって目の前に現われていた。
そのお花見会場は、ポップンパーティではないから、と一般公開されていた。それはつまり招待状がない人だってお花見を楽しめると言うことで、そうなればもちろん、たくさんのお花見客で会場はとても混みあっていた。
ちなみにお花見メンバーは六人。ぼく、スギ、さなえちゃん、りえちゃんという、よく一緒に行動する面々に、今回はサイバーとパルの正義の味方と宇宙人コンビが一緒だった。なんでそんな追加人員が居るのかと言えば、ぼくとスギは仕事の都合で遅れて到着することが確定していたため、それなりに顔見知りでもあった二人を虫除けの意味も兼ねて――まあこれが一番の理由であることは否定しないが――女の子たちの護衛に回すことにしたからだった。どうしても遅れずに行ける日程を組めないのは大人の事情、社会の事情と言うやつで、ぼくらと一緒にお花見会場に行こうと女の子たちを説得できなかったのは男の事情と言うやつだ。
……いや、まったく。あんな無邪気な可愛い笑顔で「じゃあ、がんばって素敵な場所を確保しておくわね」なんて言われたらぐうの音も出やしない。
護衛をつけたといっても無礼講になりやすい花見の席だ。心配を拭いきれなかったぼくらは早々に仕事を片付けてお花見会場に直行した。携帯電話で連絡を取り合って、彼女たちが確保してくれた花見席に到着すると、そこではまだ花見の準備真っ最中だった。
「あ、レオくん」
大きなバスケットを抱えた女の子、リエちゃんが目を瞠る。リエちゃんの声につられて大きな風呂敷包みを開こうとしていたさなえちゃんが振り返る。その彼女たちの傍らで、何やら鍋の準備をしていた正義の味方と宇宙人のコンビもこちらに顔を向ける。……それはいいが、なんであの異色コンビは鍋を出しているのにも関わらずコンロとかの用意をする気配がないのだろうか。何を作る気だ、お前ら。
とりあえず、ぼくは気を取り直すと片手を上げて、
「や。遅くなってごめん」
「むー、もう来ちゃった」
「……リエちゃん、それはちょっとひどいよ……だいたいさなえちゃんに電話で言ったじゃないか。今、そっちに向かってるって」
「レオくん、こっちに向かってるとしか言わなかったでしょう? だから仕事が終わったばかりなのかと思ったんだけど、あの時もう、ここに着いていたのね」
「二人が来る前に準備を終わらせてびっくりさせようと思ったのに」
「ああ、なるほど」
そういう目論見があったらなら仕方がない。その手の目論見が外された時の憤りは十二分に理解できるものだし。
穏やかに微笑むさなえちゃんと、頬を膨らませるリエちゃんに、ぼくは「それは、ごめん」と頭を下げた。
「え、あの、謝ってもらうことじゃ……! その、リエこそひどいこと言ってごめんなさい」
「いや、言いたくなる気持ちもわかるし」
「……理解してもらえても困る気持ちね……」
大きなバスケットも、風呂敷包みの中身の重箱も、今日のために彼女たちが作ってきたお弁当だろう。これが全部広げられた光景は、確かに目論見通りぼくらを相当驚かせるに違いない。何せ広げられる前から僕は十分驚いていたのだから。
バスケットはラブラドールレトリーバーのような大型犬とまでは行かなくても、例えば柴犬辺りが入っていたとしてもおかしくないくらいに大きいし。
重箱は大きさもさることながら、えーと、いち、に、さん……五段重ねの重箱がお節の時以外で活用されてるとこ、初めて見たよ……。
……火を使わないで鍋料理の準備をする奴も初めて見るけど。ちょっとまてそこの宇宙人、何でところてんとかゼリーとか葛きりとか取り出してるんだ。
ぼくが感心したり驚いたり唖然としたりしていると、リエちゃんが物言いた気にこっちをじっと見ていた。もっとも視線は時折ぼくから微妙にずれて、やや後方へとちらちら流れていたが、その視線の動きで彼女の訊きたいことを察知する。
「あぁ、スギなら飲み物買いに行ってる。現場から直行したから手ぶらだったんでね」
「……そっか」
あからさまにほっとして表情を和らげる女の子はとても可愛らしく、今はこの場にいない相棒をちょっとだけ憐れんだ。これはぜひ後で自慢してやろう。
「……スギは果報者だなぁ……」
しみじみ呟くと、リエちゃんがきょとんして小首を傾げる。さなえちゃんはぼくの呟きの意味を察しているのか、くすくす笑いながら、そうね、と同意してくれる。
そんなさなえちゃんを見て、気付いたことがあった。いつも、基本的に穏やかな表情を浮かべていることが多いさなえちゃんだけど、今日はその比ではないってこと。穏やかには違いないけど、穏やか、なんてレベルじゃない。さっきからぼくが見ているのは笑顔ばかりだ。
つまりこれは、例えば先ほどのリエちゃんの事例と照らし合わせるとしたら。
リエちゃんが、あんなに嬉しそうな表情を浮かべたのが、もうすぐスギが来ると知ったからだと言うならば。
それなら、さなえちゃんから笑顔がなくならないその理由は、それが多少の自惚れを含んでいたって、それはきっと、
「……まあ、ぼくも果報者だけど」
そうさ、きっとそう言うことなんだ。そして、それがぼくだけの思い込みじゃないって事は、すぐに証明された。
続けざまのぼくの呟きに、ますます不思議そうに疑問符を大量発生させているリエちゃんの隣で、やっぱり呟きの意味を察してくれたんだろうさなえちゃんは、
「……そうね」
はにかみながら、そう言ってくれたんだから。
見上げれば、覚めるような青に映える鮮やかな薄紅の天井。
見下ろした先には、みんなが思い思いに持ち寄ったカラフルなレジャーシートの地面。
くらくらと目眩を起こしてしまいそうなくらいの色彩に溢れた空間は、けれど目に映る色々な物が不思議と柔らかく感じられた。統一性も関連性も希薄なはずの色の乱舞が不快などころか、少しもうるさく感じられない。それは、より鮮やかな色彩がすぐ傍らにあるせいだろうか。カラフルすぎる地面さえ、桜の鮮やかさの前には霞んで見える。……まあ、なんだ。そんな鮮やかさを凌駕して無性にツッコミどころのある柄があったりするのだって、ちょっと変わったアクセント扱いにしておけば問題ない、はずだ。きっと。
そんな世界の真っ只中で、ふたりの女の子たちが実に軽やかに舞い踊っている。
――もちろん、本当に舞ったり踊ったりしてるわけじゃない。ふたりがしているのは、持ってきたお弁当を広げるという、そんなごく普通の、当たり前の動作だ。けど、そんな当たり前の動作が舞踊に見えてもおかしくないくらい――彼女たちの顔に浮かんだ満開の桜を思わせる笑顔は輝きを増すことはあっても少しも色褪せることがなく、笑い合って相談しながらおかずや食器を並べていく姿はどこかリズミカルで――楽しげな姿はまるで、はらりひらりと空から降る薄紅の花と一緒に踊っているかのように、この目に映ったのだ。
更に、ただでさえ見惚れてしまって仕方がない女の子たちを、そしてただでさえ美味しそうな料理の数々を、降り注ぐ桜の花が飾り立てていく。
そんな光景にすっかり心を奪われていると、いきなり後頭部を叩かれた。もちろん、こんな心奪われる光景を前に、こんな無粋な真似をしでかすようなやつは一人しかいない。そもそも、飲み物を買いに行っていたその一人がとっくにやって来ていたことは、背後でがさりと鳴ったビニール袋の音で確認済みだったし。
だからぼくは振り返りもせず、背後の無粋な人物に抗議した。
「何するんだ、スギ」
「そっちこそ何してるんだ、レオ。見惚れる気持ちは理解してやらんでもないが、ぼさっと突っ立ってる暇があるなら手伝ってこい」
「そういうスギこそ、今まで見惚れて突っ立ってるだけだったくせに。戻ってきたなら手伝いなよ」
「ぼくはいいんだ。飲み物、買ってきたし。だいたい、戻ってきたのに気付いてもらえないって言うのはちょっと――――」
そこで不自然に言葉が途切れた。ぎり、と奥歯を噛み締める音がして、背後から不穏な空気が流れてくる気配。
「――だいぶ……ものっ、すっごくっ、寂しいもんなんだからな……っ」
「あーうん、それはー……ご愁傷様……? 大変お悔やみ申し上げます?」
「うん、あのなレオ? 不吉な慰めはいらないからな?」
そんな馬鹿話をしていたら、さすがに気付いてくれたらしい。顔を輝かせ、喜びを前面に出したリエちゃんがこちらに駆け寄ってくる。尻尾でも生えていたら、千切れんばかりの勢いで振られてそうな喜びっぷりだ。
「スギくんっ!」
「――やあ。遅くなってごめん。あんまり準備手伝えなくて」
さらっと応える声に、先ほどまでの暗鬱な気配は微塵も感じられない。
……うわ、もう立ち直ったよ、早ッ! さっきまでの負のオーラはどこ行った!
「ううん。本当なら二人が来る前に終わらせるつもりだったし」
「それは中々に重労働だなぁ。でもせっかくだから飲み物の準備くらいはさせてもらおう。そうそう、ジュースだけじゃなくて、紙コップも大量購入しておいたから」
そしてつい先刻までぼくの背後で、見惚れ半分、いじけ半分で手伝いもせずに突っ立っていた男は、さっさと靴を脱ぐとお弁当の数々が並べられたシートの上へ上がりこんでいた。しかも、ぼくの横を通り過ぎる際、あからさまに見下した視線でぼくを横目に見遣りつつ、鼻を鳴らしてまでみせる。
……それはあれか。つまりあれか。暗に、どころか隠す気もなく、「女の子ばかりに働かせて、手伝いもしない甲斐性無しとは違うんで」という宣戦布告か。
ええい、そういうお前こそ楽しそうな二人を前に、自分から進んで二人の間に割り込む勇気がなかったくせに――!
しかし悲しいかな。客観的な視点から見た現実は、飲み物を買いに行った、そしてリエちゃんに声を掛けられた、という切っ掛けがあったとは言えちゃんと手伝いをしているスギと、まったく手伝いもせずにぼーっと突っ立っているぼく、という構図になってしまう。今から手伝おうにも、お弁当はほとんど出し終えた後で、残すは食器類とクッションを並べる準備のみ。それも、飲み物の準備も兼ねたスギが居るから、これ以上の人員の参加は足手まといになる可能性、大。
まあ、だからと言って、ぼくができることが完全になくなったわけじゃない。気を取り直し、負けじと手伝えることを探す。
さて。差し当たりぼくができることと言えば――
「とりあえずそこの鍋らしき物体を作っている二人。お弁当の準備がもうすぐ終わるから一旦作業中止。場合によっては破棄。むしろそれ推奨」
このままでは食卓――シートの上だから卓じゃないけど――に危険物が並ぶという差し迫った危機の回避だろう。
「ええ!? レオさん、そんな横暴な! もう少しで完成ですよ? サイバー鍋は宇宙で未来な味わいなんですよ?」
「いや、意味わからんし。そしてここは地球で現代だ」
「食わず嫌いはダメウパ。ダメな大人になるウパ」
「あいにくとぼくはすでに大人だから」
「……つまりすでにダメな大人ウパ?」
「……あっはっはっはっは」
「……れ、れお、さん……?」
いやー、ぼく、宇宙人のセンスにはついていけそうにないかもねー。はははー。
「いいからさっさと席に着け」
いい加減埒が明かないので、首根っこ掴んで、ワガママなお子様方を強制的に着席させた。
「……はー、食事だけでひと騒動だったなぁ……」
「確かに――でも、すごく楽しかったわ」
「そりゃまあ……」
桜並木を歩きながら昼食時を振り返り思わず嘆息するぼくの隣で、さなえちゃんが同意しつつ楽しそうな笑みを浮かべている。
なんで二人で出歩いているのかと言えば、別にこっそり抜け出してデートだとか色っぽい話じゃない。単に、大量に産出されたゴミをゴミ捨て場まで出しに行った戻り、と言う色気もへったくれもない理由である。
そもそも、ぼくらが花見の席取りをしていた近所で、友人知人も花見をしているのに気付いてしまったのが運の尽きだった。各々の友人知人の元へ訪ね訪ねられ、どのグループの花見席かも関係なく人が入れ代わり立ち代り、気を抜けばおかずを奪われてゆくそこは、あっという間に戦場とも呼べる場所と化したのだった。
ようやく食事がひと段落付いた後に残されたのは正に、つわものどもがゆめのあと。空っぽになったお弁当箱と大量のゴミたち。
快適なお花見ライフを送るにはこのゴミたちをどうにかせねばならず、そういう時に真っ先に気が利くのはぼくの隣を歩く女の子だった、それだけのことである。
ちなみに、本当ならリエちゃんも一緒にゴミ捨てに行こうとしていたんだけど、ぼくが一緒に行くと挙手した所したり顔のスギに何事か囁かれ、次に納得した顔でぼくとさなえちゃんを笑顔で送り出してくれた、と言うエピソードがあったりする。
――おのれ。まったく、何だって言うんだ――ありがとう。
そんなわけで、早々にゴミ捨てを済ませたぼくとさなえちゃんだったけど、せっかくだから少し遠回りして戻ろう、と満開の桜を堪能しながらの散策をしていた。
「――にしても、見れば見るほどとんでもないね、ここ」
「ほんと……すごい……」
ほう、と感嘆のため息を吐くさなえちゃんに、ぼくも素直に同意せざるを得ない。生半可な揶揄なんて吹き飛んでしまうほど、このお花見会場はとんでもなかった。
神の特権をフル活用したんだろう。ソメイヨシノやシダレザクラといった御馴染みのもの以外に、ひと目見てホワイトランドやメルヘン王国産だろうとわかる桜まで集められたお花見会場は、本当に桜を見ているだけでも飽きることがない。
……それにしても、雲に届きそうなくらい巨大な桜の木はともかく、花見客と一緒にうねうねと踊って盛り上がる桜の木やら、団子や桜餅を文字通り売り歩く桜の木というのは、実際に目にするとファンタジーを通り越してシュールである。MZD主催ともあれば、当然のごとく相応の覚悟を持ってやって来たというのに、うっかり気圧されて団子と桜餅を購入してしまったくらいに。いや、食べ物が尽きていたから食料の購入自体に問題はないんだけど。
そうだ、食べ物と言えば。
「今日のお弁当は、いつもとちょっと違ってたね」
「……美味しくなかった?」
「いやいやいやいや! そういう意味じゃなくて!」
む。これは訊き方がまずかったか。不安そうなさなえちゃんに全力で否定を返す。
熾烈なおかず争奪戦を潜り抜け、しっかり噛み締め味わった手作り料理の数々。食べなれた定番のおかずもあれば、今日のために開発してきたらしい新メニューもあった。けれど、不思議なことにどの料理にも共通点があったのだ。いや、さなえちゃんの手作り、とかそいう意味ではなくて。
「なんて言うか……春っぽかった」
「春?」
「うん」
どれも違う味わいの、その持ち味が何ひとつ殺されていたわけでもなく、食べ慣れたものは記憶にある味わいと違うことなく、それでもどの料理も同じ印象を受けた。そういう意味では近所から持ち寄られた料理にだって同じ印象があったな、と思い返す。
「だから、どんな極秘の味付けをしたんだろうか、と」
まあ、よければ教えて欲しいな、という好奇心だったわけだが。
さなえちゃんは心当たりがないのか、不思議そうな表情を浮かべた後、うーん、と唸っていたけれど、やおら、ぽん、と手を叩き、
「それ、わたしたちじゃないわ」
そう言って、近くの桜の木を指差した。
「最後の仕上げの功労者は、あっち」
「桜?」
「そう。……それだけじゃないけど。そうね、きっと正しくはこのお花見会場全体が、ね」
一瞬、言われた意味がわからず首を傾げそうになって――さなえちゃんの髪に散らされた桜の花々にピンとくる。
「……ああ、なるほど」
降り注ぐ、桜の花や花びらで飾られた料理たち。添えられたのは彩りだけじゃなかったし、桜だけじゃなかったってことだ。
それは、春の色、春の香り、春の気配。
加えてぼくらが居るのは、ここから見渡す蒼穹や無機質なビル群さえ春の色に染まって見えそうな、そんなとんでもなく春が凝縮された、息をするだけで内側から春に染められていきそうな場所――お花見会場。
そこで食べる食事となれば、それは当然、
「……春っぽくもなるよなぁ」
「そういうこと。納得しましたか、レオくん?」
「したした…………って、ぅあ!」
納得してしみじみと頷いていると、いきなりさなえちゃんがぼくの胸に飛び込んで――いや、落ち着いてよく見れば、さなえちゃんはぼくの胸元に手を置いて額を当てて――どっちにしろ近い! ものすごく近いから! なに、ナニゴト!
さなえちゃんはぼくの動揺もお構いなしに、すう、と深呼吸をひとつ。そして、うん、とひとつ頷くと、
「やっぱり。レオくんもすっかり春」
なんだかずいぶん楽しそう……と言うか、おかしそう?
あのー、納得してらっしゃるところすみません。ぼくには行動の意味も言葉の意味もわからんのですが。どうしろと。
ぼくの困惑が伝わったのか――困惑と言うかむしろ硬直なんだけど――さなえちゃんは堪えきれない様子で、ふふ、と小さく笑みを零してから、
「チョコレートじゃない甘い香りのレオくんて、ちょっと不思議」
「――へ?」
言われて、袖口を鼻に近付けてみるけど、よくわからない。
「そうなの?」
「ええ。不思議な感じだけど――よく似合ってるわ。こっちもね」
そうして触れてきたのは、ぼくの髪に飾られた桜の花だ。……断っておくけど、これは断じてぼくの趣味じゃない。むしろ今の今まで忘れていたというか忘れていたかったというか。団子と桜餅を買った際、サービスだとかで桜の木が人の頭上でわさわさと枝を揺らしたのだ。そんなことをされれば、当然桜の花やら花びらが落ちてくるわけで……おのれ、今日の事は忘れないぞ、さくらはちろう(ネームプレートに書かれてた名前)――!
そんなに嫌ならなんで取らないのかと言われれば、同じように枝わさわさのサービスを受けたさなえちゃんに「おそろいね」と嬉しそうな笑顔を向けられたら、どうして取ることができようか。
とは言うものの――
「……さなえちゃん。それ、褒め言葉になってない……」
がっくりと肩を落とすぼくに、さなえちゃんは「そう?」と可愛らしく首を傾げる。そんな彼女の姿がどこまでも楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。
大体、それを言うなら、だ。
「さなえちゃんの方がもっと似合ってるし」
薄紅に飾られた艶やかな黒髪をひとふさ手に取る。
――なるほど、言われてみれば、シャンプーやリンスのものとも、香水のもとも違う微かな甘い香気がある。
手にした髪はそのままに、半歩下がってさなえちゃんの全身が見えるようにする。
リエちゃんの手作りだろう、パステルカラーのワンピースに散る花びらは、あつらえた様によく似合っていた。
春を示す形も、色も、香りも、目の前の女の子に似合わないものなんて何ひとつない。
だから、つまり。
「ぼくより、よほど春じゃないか」
途端、白い頬が色付いて、桜色を通り越し桃色に染まっていく。
それでもどちらも春の色に違いないから、春という印象は変わらない。
それにしてもさなえちゃん、外側から内側からますます春らしくなっていくなぁ……やっぱりこの会場の効果もあるよな。そう言えば、さっきまでの会話で似たような感想を、何かに――
――――――あ。
思い付いた。
自分で意識するより先に浮かんだ、にやり、という笑み。鏡がないからわからないけど、相当意地の悪い顔をしてるんじゃないだろうか。
現に、さなえちゃん、逃げたそうにしてるし。
生憎と僕の方で逃がす気がないから、思い付いたことをさっさと行動に移すことにする。
「そう言えば、さなえちゃん」
ぼくは、髪から放した手を彼女の頬に添え、
「えっと……何?」
「ぼくらも春に風味付けられたって言うのなら――」
伸ばした親指で、薄くなぞるように、白い肌に映える花びらのような柔らかな唇に触れた。
「――やっぱり、春の味がするのかな?」