はじまりはじまり
あたしたちは目の前に広がる光景に度肝を抜かれるどころか、危うく魂を抜かれるんじゃないかってくらい驚いた。少なくとも、手荷物を思わず落としてしまうくらいには楽勝で呆然としていた。
その場所は間違いようもなく、他に例えようもなく、ただひたすらに桜色だった。
だけど、ただ桜色なだけというわけでもなかった。いや、色合いは桜色ばっかりなんだけど。問題は(桜色ばっかりということにも問題はもちろんあるんだけど)色以外のことで。むしろそれが大問題と言うか。
あたしの隣では、ミミちゃんが同じように買い物袋を落としている。……どうでもいいけど、ミミちゃん、確か特売の卵買ってなかったっけ? そういうあたしもお豆腐買ってたんだけどさー。大丈夫かしら、うふふふ…………いかん、現実逃避している場合じゃなかった。
危うく知らない時空の彼方へ飛び立ちかけた意識を瞬時に引き戻したあたしは、未だ呆然としたままの相方に声を掛けた。
「……ミミちゃん」
「……ええ、ニャミちゃん」
アイコンタクトだけじゃ飽き足らず、互いに名前を呼び合っての完璧な意思疎通。視線はすぐに目の前のほぼ一色に塗り固められた世界に向けられたけれど、お互いの姿が見えていなくたって相手の行動のタイミングなんて計るまでもない。だってあたしたちは自他共に認める最高の相方同士なんだから。
すう、と同時に息を吸い――――
「「――――なんじゃこりゃああぁぁぁっ!」」
溜めのタイミングさえもまったく同じ、完璧なユニゾンを以て何とも乙女らしさの欠片も感じられない絶叫(×2)が迸る。
そんなあたしたちの魂の絶叫を耳に手を当てやり過ごした、この現状を文字通り作り上げた元凶は、
「……『なんじゃこりゃ』はねーだろ。仮にも、とりあえず、一応は、乙女かもしれないと称されることだってあるかもしれない身の上の端っこに居座るもんとして」
……自分のことを完全に棚上げして、何かさらりと失礼なこと言ってやがりました。
「うわ、ミミちゃん、聞きまして? 何ていう人非人な発言かしら。神のクセに」
「確かに聞きましてよ、ニャミちゃん。何て身の程をわきまえない発言かしら。神の分際で」
「……うん、あのな、人非人もなにも神だからそもそも人じゃないしな……? つーかお前ら、神ってわかってるか? 神って単語の意味を理解してるか? なあ?」
「もちろん、当たり前じゃない」
「何なら説明してあげてもいいんだけど――」
人を馬鹿にしくさった質問に憮然と答えるあたしの横で、ミミちゃんが妙に言い淀んでいる。
……あ、そっか。
あたしはすぐに心優しい相方が言い淀んだ理由に気が付き、あたしたちはやたら引き攣った顔でこちらの動向を見守る神を、ちら、と盗み見た。
「………………………………なんだよ」
「「……言ったら、泣いちゃうカモ?」」
「………………ッ!」
あ。まだ言ってないのに泣いて走って行っちゃった。
神ことMZDが戻ってきたのは、それからたっぷり5分は経ってからだった。
どこかでひと泣きしてきたんだろうかと思ったけど、相変わらずのサングラスに阻まれて目が赤くなってるかどうかの確認はとれなかった。相変わらずなのはサングラスだけじゃなくって、だぼだぼの長袖Tシャツ、半ズボン、スニーカーも、デザインは違えど印象はいつも通り。見た目だけなら十分少年、中身はおっさん(しかも妻帯者)。だけどやっぱり見た目が少年なもんだから、自業自得とは言え泣かせてしまうと少々の罪悪感が。
うむ、しょうがない。
「……アメ、食べる?」
「……ガムの方がいい?」
「……頼むから、もうしゃべんな、お前ら……」
さてはて。今更だけど、あたしたちが居る場所について確認しよう。
ここは世界中に点在するといわれる『ポップン会場予定地』のひとつ。つまり神が有事の際(=ポップンパーティを開く時)に優先的に使用できる場所として抑えた土地なのである。パーティ会場と言うには広すぎる面積を保持している場所がほとんどと言う噂で、あたし達が今居る場所も噂に違わずやたらと広い。どれだけ広いかって言うと、ぱっと見て端から端が視認できないくらいに広い。これは神がポップンランドとかで味を占めたから、ということらしい。普段は町のイベントやら憩いの場として無料提供しているのだ、と胸を張って自慢されたことがあった。
だけどあくまでも今はまだ予定地であって、ポップンパーティが開かれている会場でも、次回のポップンパーティ会場と言うわけでもはない。そんな場所に何であたしたちが居るのかと言うと、春も終わりに差し掛かろうかと言う時に速報で流れたニュースの所為である。
曰く――サクラ前線、突然発生。
この、桜もそろそろ散りゆこうかと言う時期に。
最北の地でもなんでもない、すでに一度サクラ前線が通過していった地方で。
しかも場所がポップン会場予定地。
……ついでに言えば、サクラ前線と称させる長さの桜の連なりを見せる会場ってどんだけ広いのよ……。
そう、サクラ前線なのである。
サクラ前線。
春になれば誰しもが一度は耳にする言葉ではなかろうか。
これが何かと言うと、まあ簡単に言ってしまえば、日本地図上で桜の開花の日が同じ場所を結んでできる線のこと、である。
……たぶん。きっと。そんな解釈で良かったはずだ。
さて、桜というものは基本的に寒い季節にはまだ咲かず、暑い季節が始まる前に散ってしまうものだ。そして南の地方と言うものは冬の終わりは早く夏の始まりも早い。逆に北の地方は冬がなかなか終わらず、南の地方でそろそろ暑さを感じる頃になってようやく温かくなり始めるものだったりするわけで、つまり、桜は南の暖かい地域から咲き始め、北であればあるほど桜が咲くのは遅くなると言うことだ。
ならば、サクラ前線の様子を日々地図上に書き込んでいけば、サクラ前線が北へ北へと動いていくのは至極当然と言えよう。
サクラ前線。
それは春の訪れとともに現われ、春の終わりとともに消えていく、正に季節の風物詩。
サクラ前線。
――そう、それは少なくとも。
サクラ前線が通り過ぎ去って行った跡地に突然再発生するものではないと思うんですけど、どうなのそこんとこ。っていうか、こんなことできる(する)奴って一人しか思い浮かばないよね、あははははは。
そんなわけで、よもやあたしたちをのけ者に(もしくはあたしたちまでターゲットにして)何か楽しいこと企んでんじゃないでしょうね、と主犯人物を問い詰めるため買い物帰りに寄ったのだ。何で買い物帰りかって言うと、この季節外れも甚だしいニュースを知ったのが家電コーナーのテレビに映った速報だったから。
それで……実際に目にしたサクラ前線のど真ん中のトンデモっぷりに呆然として、冒頭に続く、と。
神が戻ってくるまでの間に改めて周囲をじっくり観察していたら、ちら見だけでは気付かないで居られたその他のトンデモっぷりにも否が応でも気付いてしまって……あー、何だか頭痛が。
何かもう、見なかった聞かなかった知らなかったことにして平穏無事に過ごしたっていいじゃない、と胸の内から湧き上がる誘惑をぐっと撥ね退け、
「で? どういうことなの、コレ」
桜色の周囲を広げた両手で指し示し、ようやく機嫌が直ったらしい(アメ玉を口に含んだ)神に明快な回答を求めてみる。
「見ての通り花見会場。ほら、色々忙しくって花見もロクにできないうちに花見の時期が終わっちまったからさー、自分で花見ができる環境を整えてみた。けど今更普通の花見も面白味に欠けるんで、ついでに植生に影響させないレベルで世界中の桜を集めてみたってわけだ」
……さらっと凄いワガママなこと言ってませんか、この神。スケールがでかいんだかちっさいんだか判断に困る発言もしてませんか、この神。
確かに「世界中の桜」と言うだけあって、ひと括りでまとめてしまえば「桜色」のひと言に尽きる桜だらけのこの場所も、よく見てみれば同じ桜でも色々違っていることが良くわかる。
同じ桜の木だけど、違う桜の木。それはソメイヨシノとか八重桜とか枝垂桜とかたぶんそういう違いだ。思い浮かんだ名前を並べただけだから、実際の所どれがそれであれだかまでは良くわかんないけど。花びらの色の濃さも微妙に違ってるから、わかる人が見ればどれだけ多種多様な桜の集合体か一目瞭然なんだろうな、と思う。
でもさ、神。この会場の桜は、そういうレベルを超えているように見えて仕方ないんですけど。
「……植生に影響させない?」
見上げた先には、けっこうな距離が開いてるはずなのに全体を見渡すのが困難なほど大きい桜の木が。
鳥の巣どころか人の巣が、一軒と言わず二軒と言わず、何軒でも余裕綽々で建てられませんかってくらいに大きい桜の木が。
それも複数。
「……植生に影響させない?」
視線を降ろした先には、桜の花びらが桜色の絨毯を作っていく最中を走り回る桜の木が。
本来根っこじゃないのかと思われる部分が足となって、地面の中に埋まらず、地面の上を走り回る桜の木が。
やっぱり複数。
「……植生に影響させない?」
ちょっと視線を外してみると、明らかに幹の部分がうねうね動いている桜の木が。
お辞儀? それとも反ってんの? イナバウアー?
どれだけ目を背けようとしても、どうあがいても二本以上見える気がする。
その他、えとせとらえとせとら、な桜の木が、複数。
っていうか、あの! あそこの! 地面から突き出た土管は! 土管から咲いてる花は! どう贔屓目に見てもサクラチガウッ!
……………………………………。
「「どこが影響させないなのさー!」」
どう見ても何らかの悪影響の結果じゃないの、と叫ぶあたしたちに、
「いや、あれはそもそもそういうもんだし」
「「どこにあんな桜の木があるって言うのよ!」」
「ホワイトランドとかメルヘン王国。あと、宇宙。その他色々」
何かまたさらっと言いやがった……!
そりゃ、確かに「世界中」って言ってたけれども……!
意味が! いや、この場合、規模が?
言われたことに間違いはないんだけど、何ひとつ嘘はないんだけど、その通りではあるんだけど、なんだろう、この込み上げる悔しさは……!
どうやらミミちゃんも同じ気持ちだったらしい。やっぱりあたしたちって一心同体の最高のパートナーよね! こんな時の悔しさの解消法って言ったらひとつしかないわよね!
あたしたちは神に気付かれないように拳をぎゅっと握りると腰を落とし、やや半身に構えて――
「あー、心配しなくても準備が整ったら一般公開するぞ。それでなくとも少なくともポッパー連中には――もちろんお前らにも案内状出すつもりだったし。でもせっかく来たんだから先に場所取りしとくか? 優遇してやるぞ」
ま、日ごろの感謝の気持ちだな、と言って、いつもみたいに、にやり、と笑ったはずの神の顔は、ちっとも「にやり」って顔に見えなかった。
それはきっと本当に神なりの感謝の表し方で。
ちょっと不器用な方法でも、気持ちがすとんと素直に伝わってきて。
――ああ、だけれども。
今更あたしたちが止められなかったりすのも、悲しいかな現実なわけで。
だから、せめて。
あたしたちはありったけの気持ちを籠めた。
「「グッジョォォォォォォォオオブッ!」」
言葉と。
こぶしに。(と思ったら、ミミちゃんは足だったりしたけれども)
伝われ、この想い☆
「伝わるかああぁぁぁぁぁぁ……――っ!」
必要以上に籠められた想いのパワーたるや、空を越えてしまえるほどだったのは……まあ、ご愛嬌と言うことでいいだろう。うん。
お、一番星、発見。